このサイトのきっかけ、製作等について




■このサイト開設のきっかけ

 このサイトの、というより旧光州線という路線の跡を訪ねて写真を撮るようになったきっかけについては別の解説文の中でも書きましたが、2002年の春に、 光州市から北北東に25キロほど離れた淳昌という町へ向かう途中、バスの車窓から偶然廃線跡のような築造物を目にし、それから文献やインターネットで調べ始めて、実際にかつて植民地時代に作られて植民地時代に廃止になった鉄道がその辺りにあったと知ったことがきっかけでした。
ちなみに、鉄道に乗るのは好きでしたがあまり趣味として取り組んだ(?)ことはなく、韓国の鉄道の一般的知識に関してもこのサイト開設をきっかけにいろいろ調べ始めたくらいなので、まだまだ勉強段階です。
 記念すべき最初の撮影行(手ブレだらけ)は、証心寺・南光州駅跡・タミャン−光州間その3に載せた写真の撮影です。デジタルカメラで撮ったのは友人が運営しているサイトの掲示板で私が廃線のことを話していて、ついでに写真も掲示板に載せて見せたいという変な欲から始まったものです。 撮影当時にはサイトを持つ、という考えはありませんでした。掲載する際にその友人に掲示板でアカウント取得を示唆されて作ったのが本サイトの原型です。


■管理人について

 このサイトの運営・管理者(掲示板等でのHNは「光潭夢」)は、日本人です。2001年から2003年にかけて韓国南西部の全羅道地域にある、光州広域市内の大学に在学していました。2003年に半年間日本に戻っていた後、同年9月に再び渡韓、翌2004年2月まで在学しました。
帰国後は2007年まで日本に住んでいました。その後2年ほど、今度は仕事で全羅道ではない地域に滞在していましたが、あまり廃線探訪はできず、写真の数も少ないままでした。「その他の写真」の慶和駅の桜の写真はこの時期のものです。2009年7月に帰国して以降はずっと日本に住んでいます。

 もともと廃線に興味を持ったのは子供の頃、父がもっていた堀淳一氏の「地図を歩く」などの一連のシリーズの文庫本を読んだ事がきっかけでした。その頃は父もその本を読んで多少はまっていたらしく、実際に当時住んでいた東京近郊の私鉄沿線の廃線跡(と父が推定した)を見に、何かのついでに車で寄った事があります。 それは本線から分かれるように切り取りのカーブを描いて緩やかに坂を登っていき、米軍の基地(当時)の中へ消えていくほんの短い道路でした。後に道路が新しくなる際に直線に直されてしまい、今は当時の形跡は残っていません。


■韓国の廃線探訪に関して
運営者の個人的な興味の方向
=まず第一には廃線探訪そのものの面白さがありますが、ここではあえて触れません。韓国の廃線探訪で独特な要素の一つが、そのうちの少なからぬ部分が日帝時代(植民地時代)に日本の手によって敷設されたと言う点です。その点ではそれらの廃線は韓国の廃線跡であると同時に、ある面で日本の(遺した)廃線跡であるとも言えるわけです。
 特に、メインとして探訪してきた旧光州線や潭陽−金池未成線は、戦時体制下の日本の都合によりその運命が大きく左右されたと同時に、かつての開通部分は住民の足ともなっていて、韓国独立後は住民らから復活を求める声があがるという、植民地経営型鉄道の二面性をはっきりした形で内包しているという、日本国内の鉄道にはない要素を持ち合わせています。
探訪での注意点
=まず、これはベテランの韓国鉄道ファンの方々には常識でしょうが、韓国では鉄道は(準)軍事施設として、無許可での撮影が禁止されてきました。ソウルオリンピックを境にその規制はだいぶ緩やかなものになりましたが、基本的な位置付けは変わっていません。廃線は現行の鉄道ではありませんが、軍事施設の跡という位置付けをされればそれに準ずる保安対象ともなりえます。
 (これがために、私は軍事境界線近くの東海北部線の軌道を探訪することに、ためらいがあります。名目上は廃止ではなく休止線ということもあり写真撮影はまずいのではという憂慮が消える事はありません)
 さらに、韓国には反共教育が盛んだった頃から現在に至るまでもスパイ通報奨励制度が大きく宣伝され、テレビや街中でも情報機関による通報奨励の広告が見られます。
 話が逸れますが、一番外国人の目に付きやすいのは仁川国際空港での入国審査の際、ゲートの脇にあるテレビ画面で繰り返し流されるCMです(2003年9月現在)。家族の団らんや日常の中の幸せな瞬間、と言った映像を並べながら、「みんなの幸福を守るため、覚えておくべき番号があります――111」というメッセージが表示されるCMです。111、というのが即ち密告用の電話番号、というわけです。
 こうした風潮も手伝ってか、住民の方がよそ者を見る目というのはけっして好意的とは限りません。まして、韓国で廃線趣味などと言うのは全く知られていませんから、写真を撮っていても現地の人達には何の目的なのか全く見当もつかない、ということになります。私自身、探訪の際にあからさまに不審な目でずっと遠くから見張られたことも1度ではありませんでした。
 そういう時、今までも何回か、適当に挨拶して通り過ぎてしまうようなこともあったのですが、やはりあらぬ疑いを解くために、こちらから何か質問の形をとってでも話しをし、こちらの目的をある程度(住民の方が納得できるような話をして)明らかにしておくのがベターではないかと思っています。過去の歴史を知りたいと思い訪ねてきた、と述べると、こちらの知らなかった貴重なお話をしてくださる場合もあります。 もちろんの話ですが住民の方々の日常生活を侵害するような行為は慎むべきと思っています。
 そういう意味では、まああまり実際に韓国で廃線探訪を実行される方はいらっしゃらないと思いますがもし実行される際には、グループの中に韓国語をある程度以上話せる方が一人いるのが、できればよろしいかと思います。






■写真

 このサイトを始めるまで使いきりカメラを除けばカメラなどろくに触れていませんでした。最初の撮影行の際に使ったのは私用で使った学校の機材のコダック製のデジタルカメラで、型などは分かりません。
 2002年夏に日本に一時帰国したときに購入したオリンパスのCAMEDIA C-2 Zoomというのを使用していた時期が長かったはずです。 同社の[CAMEDIA]シリーズのデジタルカメラとしては低い価格帯に当る製品のようで機能はあまりなく、自動制御の部分が大きいのですが、それでも3倍光学ズームと、フラッシュ不使用撮影機能(露光時間を割りと幅広く自動調整してくれるので割りと薄暗くても撮影可能)には素人としてだいぶ助かりました。
その後CANONのカメラに買い替えたのですが、数年前にそれも壊れてしまい、現時点でデジタルカメラ専用機を所有していません…


■作成環境・指針

 サイトのhtmlファイルの作成は、ジオシティーズのアドバンスドエディターというツールでタグを直接打って作っていました。現在のロリポップ!のサーバーに移行した後も基本は変わっていません。そのため、稚拙だったり、色々あらがあると思いますが、ぼちぼちと精進していきたいと思います。スタイルシートは現時点では使っていません(というより使いこなせません)。閲覧環境を選ぶようなページにならないように注意しつつ、出来る範囲内で見やすく、出来れば見栄えのいいページに出来ればと思っています。
 作成時の画面環境は1024*768で作っていますが、800*600でもなるべく横スクロール無しで見られるように出来るだけ配慮していく方針です。それでも、やむを得ず一部の図や表、写真が横幅を超えてしまっている場合があります。
 閲覧確認はIE5.0以上でしか行なっていませんが、もしネットスケープ等他のブラウザで不具合がある場合は、出来る範囲で対処したいと思います。

 写真についてはデジタルカメラで撮った画像を適宜加工・縮小して掲載しております。使っている加工ソフトはmicrosoft officeに付属の「photo editor」で、専門的なものではないので加工後の写真にはややアラが目立つかもしれません。
 廃線写真と、その他の写真とで若干方針が異なります。廃線写真については説明のための写真という観点から、見せたいものがちゃんと見えることを限度としてなるべく小さめにしてあります。ただ、その大きさの目安には揺れがありますし、だいたい古い時期のページほど画像が大きめの傾向があるようです。
 これに対して「その他の写真」では旅先などで撮った写真を展示する場所なので、場合によってはちょっと大き目の写真を載せることもあります。ただ、512*384(ピクセル)を超える大きさの物は極力ページ上には載せない(画像へのリンクの形式にする)ことにしています。



■このサイトの更新

 2019年現在、管理者は日本に在住しており韓国を訪れる用事もあまりないため、今のところ過去の情報を記録の意味で保存・公開しているサイトと思っていただければと思います。

 かつて、基本的に部分修正程度だとトップページの「最近の更新」には載せずに「更新の記録」に載せていましたが、そうした細かいものも含めて「更新の記録」をつけているので、この項目をアップした直後に「更新履歴」のページを作成しました。細かな記録を省いたものです。



2003.10.16最終更新


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