■真夜中のタクシーは、危険?■
‘彼女の乗ったタクシーのナンバーをチェックせよ’



 先日、夜更け過ぎまで酒を飲んだ帰り道、こんな話を聞いた。・・・それまで知らなかった話だが、どうやらこちらでは誰でも知っている話らしい。
 夜、恋人をタクシーに乗せて見送る際に、絶対に忘れてはならない基本事項があるという。
 それは、乗せたタクシーのナンバーをしっかり見て、覚えておく(或いはメモする?)こと。
 翌朝、恋人の家に電話をして、もし繋がらなかったら、すぐさま警察にそのナンバーを通報するのだ、という。
 つまり・・・タクシーの運転手によって、彼女の身に何かあったかもしれないから・・・ということらしい。
 「今は、そんなことはもうないだろうけど」「それに今は携帯電話があるから」・・・

 ・・・聞いたときにはあまりのことに唖然として、何も言えなかったのだが、後で考えてみると、すんなり「一昔前まではこちらの治安状態もそんなものだったのか」とそのまま受け入れるには少々疑問であるように思えてきた。
 身も蓋もない書き方かもしれないが、夜中にタクシーが彼女ごと失踪して、それを朝になってから通報したところで、なにがどう防げるというのだろうか、実際。そりゃ、通報しないでそのまま行方不明になるよりはましだし、遺体で発見という最悪の事態を防げたりするかもしれないが。
 また、タクシーの運転手側にしても客を乗せる際に、暗いとはいえ見送る男性に顔を見られている可能性もあるのだし、人を乗せてからゆっくり発車するのだからナンバープレートを確認されるヒマも充分にあることくらい分かるだろうと思うのだ。
 これは見方によれば、いわゆる「都市伝説」に含まれるものではないか?
 しかし、この場合話の主人公はナゾの生物や怪人、あるいは裏社会の地下組織、とかではなく、市井に行き来する実在の、働くタクシー運転手の人々なのである。・・・これは、いかがなものだろうか。

 あるいは、もしかしたら、ずっと以前にはそういう事件が明るみになったのかもしれない。もしそうした事件が複数件報道されたりすれば、大衆の間にそのような「防衛策」が広まることもおかしいとはいえないだろう。
 ただ、万一それに似たような事情が実在したとしても、そのようなこと−男性は、夜中に女性を乗せたタクシーのナンバープレートを確認せよ−が、つい最近まで「常識」として語り継がれていたというのは、タクシー運転手を見る目としてはやはりちょっと問題ではないのか。タクシー運転手を名称だけ「運転技士さん」と呼んで(そう呼ぶのが一番失礼が無いとされる)済ませられる事ではない。
 こんどまた何か飲む機会があったときに、その辺について突っ込んでみたいと思う。
 そのような「防衛策」が必要な「実情」が、かつて本当に存在したのかどうか、具体的な情報を得られるかもしれないし、そうでなくても、地元の学生、社会人学生(=現役学生のOB・OGに該当するような人たち)、非地元出身の先生、それぞれ違う見方があるんじゃないかと思う。

 タクシーにまつわる話で、在住の日本人の方からこんな話も聞いた。これは、現在の話としてだ。
 タクシーに乗るときは、ダッシュボードに取り付けてある運転手の写真と運転している本人とをしっかり確認しろ、あるいは個人タクシーをなるべく選べ、と。
 会社所属の運転手だと、知り合いでタクシーの運転資格のない人間に、そのまま車を貸して営業運転させてやってしまうことがあるから、だそうだ。
 こちらも真面目な運転手にとっては気持のいい話ではないだろうが、上の話よりは少々説得力がある・・・ように思える。というか条件的に考えて、“犯行”がしやすそうだ。個人タクシーだとしづらい、というのも一理あるように思える。
 それで、その話を聞いてからいちいちタクシーを利用するたびに写真を確認している。だが、実際に別人が運転している車にはまだ一度も乗り合わせたことはない。
(2002.6.13)


※実際に、韓国のタクシーに関する(韓国内での)うわさを聞いたことのあるという方、ぜひメールで情報をお寄せください・、書いてみる。


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追記

 この夏休み、日本へ一時帰国したときに、ある韓国人留学生を囲んで酒を飲む機会があったので、話のついでに、このことについて聞いてみました。僕はそういう目でタクシードライバーを見ているということに驚いたといったのですが、彼女は「・・・うん。・・・それに、そんなようなことが実際あったからね。」と、教えてくれました。韓国ではあの後、この話題について誰かに聞く機会は無かったので、初めて具体的なことについて聞く機会を得たわけです。
 何でも大学生時代――彼女の年齢はここでは明かしませんが(笑)かれこれ10年位前にはなるでしょうか?――、彼女の知り合いが実際にそのような目に遭いかけ、危うく難を逃れたそうです。また、当時の習慣として、車のナンバーはともかく、男女複数名がタクシーに乗ってそれぞれの家に帰宅する際には、必ず女の子を最後に残さないように女の子の家から先に回るようにしていた、ということでした。
 僕は、「あったかもしれないな」と思いつつも、心の奥では都市伝説であって欲しい、と思っていました。そういう、最初に上の文章を書いたときの僕の考えが、甘かった、ということなのかもしれません。それでもいさぎ悪く僕は「やっぱり、収入が低かったから?」と、なかばタクシー運転手を擁護するように重ねて訊いたところ、「うん・・・それに、あんま良くない人がそういう仕事についていたから」というのが回答でした。
 ・・・あえてもう一言言うならば、僕は、実際にそういうことがあった、ということよりも、そういう話をするときのその留学生の眼が印象に残りました。タクシー運転手の話をするときに表れる、タクシー運転手という職業の人に対する彼女の持つ、ある面においてはっきりと否定的なイメージがこちらにも伝わってしまうような眼、それでもここで露骨に不快や蔑視などを表明するわけにはいかないという板挟みの中から何かを表そうとする様な複雑な表情の中の、その眼が、です。
 これについて、今僕には言う言葉がありません。だからといって、これからタクシーに乗るときの僕の眼までも変わってしまったら、それは悲しいことだと思います。でも、「問題ではないか」などとえらそうに言っていた僕ですが、実際にそういう話をずっと聞いていたらやはり随分違っただろうとも思うのです。人並みに、いやむしろ人一倍、そのようなイメージや先入見に弱い人間かもしれないと、思っているので。
 ・・・こんな話は忘れた方がいいのでしょうか?憶えておくのがいいのだとしたら、それはどのような意味ででしょうか?

(2002.9.5)


2002年8月現在、光州広域市のタクシーの初乗り料金は1500ウォン(約150円)です。一度、自宅から光州空港まで50分ほどかけて(途中で渋滞につかまりました)タクシーに乗ったとき、光州へ来て初めて8000ウォン代に達しました。こちらの物価平均は、だいたい日本の半分ほどです。初乗りが2kmかどうかは分かりませんが、ちょっと乗るだけならメーターが進んでも2000ウォン未満に収まる事はざらです。この金額では、安い食堂に行ってもご飯ものは食べられずに、せいぜい「ラーメン」=インスタントラーメンを卵や少量の野菜と煮たもの(1200〜1500ウォンくらい)が食べられる程度です。