運行日誌 7−8月 *更新記録と、それにまつわる話と、関係ない日々の雑記など。 過去の日誌へ
トルコ戦は、それまでとは打って変わって(?)遺恨の残らない試合になった。まあ、ひいきめにも自国チームの情けなさの目立つ試合ではあっただろうが・・・。 あまり殺伐とした雰囲気がなかった事に関連して、韓国のあるテレビ局(SBS)のアナウンサーは「トルコは朝鮮戦争のとき、我々の友軍でしたから」と述べていた。 たしかにトルコ軍は参戦しているのだが、それを言ったらアメリカは、と思ったけどアメリカは沖縄にとってのアメリカと似たような存在感があるから、同じようには行かないだろうな。ブッシュの「悪の枢軸」発言とかもあったし。 それはそれとして、「アズーリの墓場へようこそ」とか、「ヒトラーの子孫たちよ、去れ」といったちょっと度の過ぎたアレを見るにつけ(もちろん、「ヒトラー」とか持ち出すのは一部の人間だと思っているが)、やっぱり、ヨーロッパ(特に西欧)とアメリカに対する敵対心、というか対抗心のようなものが、根底にあるのではないだろうか。トルコへの態度もあわせて考えると、やっぱり日本にはない「第三世界」的なアイデンティティー、特に自分たちが歴史的に彼らに振り回されてきているという思いが、少なからず残っているのかもしれない。 推測だけど。 先日のYTNのニュースで、韓国が審判論議の渦中にあることを報道していた。 W杯開催中は、「負けた強国がいつまでもぐちぐち言っている」という言い方だったのに比べれば少しはましになったのかとおもいきや、 自国のプレーに関する論争では、「ポルトガルが荒いプレーで韓国選手を引き倒して退場になったにもかかわらず審判に猛抗議しました」とか、「イタリアのトッティがファウルに見せかけたシュミレーションをして、反則を」とかとか、まるっきり韓国の言い分に沿った言い方で、しかも 「スペインは2点を泥棒されたと主張して負けを認めていません」とか、「しかし、こうした主張は負けを認めたくない強国の傲慢な態度によるもの」など、解説者ならいざ知らずアナウンサーが言う内容とは思えない主観的報道(それを報道と呼ぶなら、だが)。つうか、これじゃ北の報道の方式と五十歩百歩だ。今に始まった事じゃないかもしれないが。 FIFA会長が「誤審があった」と発言したこと等には触れずに、審判長が「問題はなかった」と発言したことのみを引用するなど、客観的事実の報道に関しても明らかに偏向気味。 一方、ブラジルやアメリカに関するミスジャッジ論議には、韓国に関するそれとは全く切り離して、「ミスがあった」と正反対の報道。 正直、マスコミがこういう報道をしているのはまだまだ問題が多いなあと本気で思った。 そろそろ長くなってきたのでページを分けようかと思います。
性懲りも無くトップページをマイナーチェンジ。全体にテーブル使用と背景・文字色変更。なんとなく列車の配色をイメージするような感じでカラーリングを考えてしまうあたりに苦笑。それに伴い運行日誌ほか2ページをの背景色に旧トップページの色を移植。 先週の台風はおおむね大雨だけだったが、一番ひどかった日が都合によりあちこち出かける日になってしまい、たっぷりとシャワーを浴びた。傘は差していたのに、雨量の多さにてっぺんから浸水し、傘の中から雨が降る状態(笑)。つうか、これはいくらなんでも欠陥だろう。まあでも台風が黄海上で急激に弱まったせいで、南にも北にも大きな被害が無くてよかった。 今週から来週にかけて、ようやく新しい撮影に出かけるつもり。
今回、現地の人に、植民地時代の遺物であるこの廃線跡について質問するかどうか少し悩んだが結局しなかった。いろいろ考えなければいけない事を先送りにしているのかも、とも思う。 ついでに今日は晴れていて時間があったので、昼過ぎに出かけて、1回目の踏査で撮りきれなかった部分の写真を撮りに再び同じ所へ。遠景からの写真を中心に撮ったが、方角の見当がずれていたため思いかけないところで逆光の憂き目に遭う。暑さで頭がくらくらしたが、田舎の風景なので目は安らぐ。この写真はぼちぼち追加して、ページの内容をちょっと再構成するつもり。でも、ページの数は増やさない。 写真の方はいったん区切りがついた。サイトの基本型がようやく見えてきたので、サイト全体についてもうちょっと、すっきりした構成にしたいと思う(手の届く範囲で)。その内REFERENCE LINKのサイトのうち二つくらいに相互リンクのお願いメールをだそうかとも考えている事だし。
まあでも日記交じりの文章を読まなきゃそれが把握できないって言うのは他人のページでそれがあったらいやだなあと前々から思っていた。でも更新記録としては、「運行日誌」の現在ページから過去ログを作る際にあわせて「更新記録」用のダイジェストを作ることにならざるをえない。更新のたびに両方のページを更新していたら、多分そのうち運営が嫌になると思うので無理だ。でも、この方式だと現在の更新履歴を読む側のうざさは相変わらずだ。うーん。もっと簡単な方式を検討しないと。つうかこんなサイトの更新履歴なんて別に無くてもいいものだし。必要があるとすれば、せいぜい写真と解説のページの更新情報だけな訳で。この日誌はほとんどHP日記のつもりなので飽きない限り書くと思うが、更新履歴は多分残るとしても簡略なものにするだろう。 このページの一番下にあった「今後の訪問予定」を廃線写真のインデックスのページに移す。
24日に光州−潭陽間の4の2をアップ。
さっきgoogleで「韓国の廃線」と検索したらここがヒットした。一ヶ月前は出なかったのに。しかもキャッシュまで表示される。こんなキーワードで検索する人が何人も居ないだろうとはいえ、なんだかちょっとびびる。早く、サイトの構成だけでももうちょっとまともにしないと。
韓国へ戻ってきてしまった。2週間後には新学期が・・・。 結局更新したのは、箱根の駒ヶ岳ケーブルカーだった。自称・廃線写真サイトにこういうのを乗っけたからといって、この線がこのサイトの性格と相通ずるものがあると感じたわけではない、といえば嘘になる(笑)。 箱根の旅行は、家族の都合上しかたないとおもって行ったものの、5ヶ月ぶりに日本へ帰った日(しかも家に着いたのは午前0時過ぎ)の翌日だったので、体がきつかった。 おまけに、半年ぶりの自動車の運転。実は国際免許(誰でも取れる)を持っているのだが、韓国では一度も運転したことがない。それなのに、その日は訳あって、慣れないレンタカーでの運転。 果たして、ケーブルカーに乗った帰り、下りの山道を運転していて、危うく脱輪しそうになった(しゃれになっていない)。 次の週の8月2日(金)は、今度は日帰りで日光に行った。これは祖父ではなく、別の人を連れていったのだが、こっちのほうが箱根より楽しかった。華厳の滝では少なくとも2組の韓国人グループを見かけた。箱根にも韓国人はたくさん来るようだが、ぼくは箱根より、ちょっと遠くても日光の方が日本の自然やら温泉やらを満喫するにはいいと思った。 ついでに日光湯元で、日帰りでも入れる温泉に入ってきた。まさか、3週間足らずの間に二度も温泉に入るとは思わなかった。 帰国してみると、なんだか「日本に帰ったらあれもこれも」と思っていたことの、欲求のテンションが当初より下がってしまい、「ゴロゴロシテイタイ」欲求ばかりが増殖してしまった。たくさん見ようと思っていた映画も2本しか見なかったし、ラーメンも二杯しか食べなかった(笑)。 帰港前に韓国で考えていたことと、日本に居座ってからの考えとはずいぶん違う。その辺のバランスがまだ撮れない。この日記も、日記としての更新は事実上しなかったし。ちょっと自分にとってのこの日記の意味を考えそうにもなった(結局、深くは考えないことにしたけど)。 ただ、帰国2日前にデジカメは買った(笑)。今までの3回の撮影はいずれも人のものを借りての撮影だったけど、これでばりばり撮れる(←本業は大丈夫か)。まあ、一応、これは学業の方にも有用なものではあるので無駄な投資とは考えないようにする。 ともかく、まあ、いい夏休みだったと思う。実際こちら韓国では、ここ一週間大雨で、地域によっては洪水で死者が出ているなど、とてもバカンス気分ではなかったようだ。地獄のような記録的猛暑の日々もそう考えるとある意味夏休みらしい休暇、だったのかもしれない。 今日の光州は曇り時々雨。クーラーを付けずに部屋にいても平気ですごせる一日でした。なんだか避暑に帰ってきたみたいだ。
高速鉄道建設と歩を合わせた、昨今の韓国の鉄道の変容のスピードは恐ろしく速い。しかも政策的にかなり中央集権的な政治体制のもとで計画的に進められるから、あちこちの路線で同時進行である。とても追いつけない。どこかに同志はいないものか。
僕は以前、この傍を何度もバスなどで通っていたのに鉄道には一度も乗らず、駅にも一度も行ったことが無かったのだ。 行ってみて分かったのだが、僕が最後にこの旧線のそばを車に乗って(運転して、ではない)通ったのは、新線切替まで一週間を切った昨年の7月の4日だったのだ。その前の4月にやはり用事でこのそばを通ったときは、運良く特急(セマウル)とすれ違った。もうその時点で立派な新線が傍に開通していて、「あ、まだ新線に切り替わっていないんだ」と思ったほどなのだが、今思えばあの時点で時間を作って乗っておけば、と後悔している。まあ、留学に来て半年も経たない頃なのでなかなか余裕も無かったのだけれど。 なんだか、廃線写真のインデックスページの末尾「今後の訪問候補地」にも無い所を訪ねてしまったが、ともかく写真はほぼ加工した。大体のページの組み立ても頭に浮かんだのだが、文章を作ってタグを打っていくのはかなりそっちへ向けたテンションの集中したときでないとなかなか難しい。少なくとも今日は無理だ。この日記を書くのだって、もう2週間近く更新していないし、と思って書くことにしたのだが、書き出しはちょっと苦労した(多分文章にそれが表れているはず)。日記をHTMLで作っていくのに疲れて、レンタル日記サービスへ切り替える人の気持がよく分かる。 でも、韓国の写真の更新は最後に更新してからひと月が過ぎようとしているので、なるべくはやめに何とかしたい。
ようやく栄山浦駅編をアップした。新・羅州駅も同時にアップするつもりだったのだが、訳あって一気呵成にHTMLを書いたため、後が続かなかった。後で見たらリンクミスだらけ。2度も手直しした。 新・羅州駅まででは半端なので、週末に旧羅州駅を訪れるつもりだったのだが、来週末に持ち越しになりそうだ。 ホームページを移転した。トップを軽くしたかったのと、検索で来た人向けに、なんとなくワンクッション置きたくなった、というか一番上の数字のアドレスから、ディレクトリ一つ分下げたかった。とはいってもあまり意味ないけど。ホームへ戻るリンクをフルアドレスで書いていたので、直すのが大変だった。そういえば廃線写真ページからの「ホームへ」リンクは以前のままだ。まあいいか。 現在の日誌へ >ホームへ
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