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■2002年9月21日までの日記■※この日付を最後に、「さるさる日記」のサービスへ移行。

運行日誌

*更新記録と、それにまつわる話と、関係ない日々の雑記など。
9月21日
6時55分発の普通列車で木浦に行ってきた。ちょうど韓国の帰省シーズンで、光州駅には6時半過ぎの時点で既に、改札を待つ長い列が駅舎の外まで出来ていた。普通列車は昔の優等列車の車両と思しき車両の4両編成だったが、途中の松汀里ではついに立ち客が出るほど。ある人たちは途中で、或いは終点で降りて車やバスで故郷に向かうが、そうでない人は、終点の木浦から船に乗って両親の家や先祖の墓のある、島へと渡るのだ。大きな土産物を抱えて。というか、そういう姿を見られるというのが今回木浦に行き先を決めた理由の一つだ。
木浦では朝ごはんに中華屋のクッパを食べた。そこしか営業していなかったからだ。で、真っ赤なスープが出てきたときには、やばい、とおもったのだが、それほど辛くない。いや、汗が出るほど辛いことは辛いのだが。
僕は中華屋の辛いスープというと学校の裏手にある中華屋の辛いチャンポンのスープを基準に考えるのだが、この木浦の中華屋は、学校裏の店のようにやたらピリ辛くないのだ。こういう味もあったのか。というより、学校裏の店にだまされたという感じだ。韓国の中華屋で辛いスープはみなああなのかと思ったら、単にラー油の入れすぎじゃないのか。
・・・いや、いつだったか昔の金浦空港でたべたチャンポンもピリ辛だったな。すると木浦の方が異端的なのか?でも日本人として僕は断然こっちを支持する。
鶴橋駅は、大阪のコリアタウンと偶然にも同じ名称という事で、行ってみようと思っていたところだった。そこで、帰りに寄り道してみた。
詳しくは写真をアップした際に書くが・・・なんというか、なんとも言えない気分だ。

9月16日
土曜日の午後、「Rail and Bike」と「韓国鉄道旅行案内」の2つのサイトの管理者の方宛にリンクを申し込んだ。次の日、早速「Rail and Bike」(R&Bとかけてあるところが自制のあるおしゃれだと思った)の柏熊さん(トップページにはHNで書いてあるが、来たメール&サイトのプロフィールには本名が書いてあったのでこれで大丈夫だと思う)から承諾のメールを頂いた。素直にうれしい。

前後するが、韓国の廃線の表をアップした。HTMLそのものは随分前に書いてあったものの、他のサイトからの転載なので迷っていてアップしていなかったが、今回元ページの消失が一応確認されたのでアップすることにした。
トップページにアップした新しいバナーは、本当は一週間前にアップロードされていたもの。学校の4階の窓から撮った無等山の写真をWIN付属のソフトで加工した代物だ。同時に、今回更新した光州線の写真も、撮ってきたその日のうちに選んで加工してアップロードしてあったのだが(その際、実際のページのアウトラインも頭の中では出来ていたのだが)、どちらも結果的に1週間、占用しているディレクトリで寝かせる結果になった。すぐにやらないのはなぜだか、自分でも説明がし難い。

今回の背景色は黄土色に近い、これまでとまた違った系統だ。湖南線では群青系から明るめのネイビーブルーのような色へという展開だったが、今回は今までの薄緑系と湖南線の灰青系のどちらも違うような気がしたのだ。計画としてはこの後、第1区の2から第2区にかけて、グラデュエーションをつけて第3区の薄黄緑とのギャップがあまりないように持っていきたい。あと、解説文もまとめて、インデックスページも作ろうかと考えていて、このページの配色は光州線解説ページの配色と基本的に同じにしようかと、現段階では考えている。

とにかく、一応廃線の大手サイトの一つからリンクが張られたので、個人サイトのみっともない部分はなるべく削ると同時に、見に来る人を不快にさせないようにデザインを絞っていきたいと思う。・・・とは言っても、肝心の写真コンテンツが更新やたら遅めではいかんのであるが。

9月9日
だめだ、日記ツール。背景色が指定どおりに出ない。フォルダーを移したせいなのか、送信が出来ない。今回だけの誤作動かもしれないし夜中の時間帯だからかもしれないが、こんなのがあると思って使い続ける気にはなれない。メリットも僕にとってはあまりない。投稿のたびに文字色と背景色を変えられるらしいがそんなのは気持悪くて見てられない。せいぜい文字色くらいだ。というわけで早々に放棄して、一旦元に戻す。そのかわり、新しい日記を上に積み重ねていく方式に変更する。geodiaryは残しておいてしばらく試用して見ることにする。

9月8日(その2)
いいかげんHTMLは面倒くさいので、試しにgeodiaryというのを使ってみる。でもこれはgeoに2度アクセスすると言う無駄手間かもしれない。自由度少ないし。まあ、シンプルなのがいいのでそれはそんなに大きな問題じゃないけど。あまり自由度が少ないとか、直すのが面倒ならやめる。他のを探す。 湖南線旧線を本格的にターゲットに入れようと思う。まずはイムソンニの新・在来線との連結のようすとか。ノアン駅も行っておきたい。あとは「鶴橋」という駅がなくなってハンピョン駅という郡の地名を冠した駅が出来た辺りのことも取材したい。後悔のないように。

9月8日
光州線の起点へ行ってきた。と言っても市内バスで2,30分といったところ。この区間は、前から分かっていたことだが街中なので廃線跡そのままの築堤などはほとんどなく、廃線跡の上に建設された道路の描くカーブや直線にそれらしさが感じられるという程度である。その所為かどうか、1時間半ほど歩いただけなのに帰宅したらどっと疲れが出た。今日はアウトだ。ついてない。早めにアップしないと他の事に響くので今週前半までにはアップすることになりそう。

9月4日
<前回の日記> 「台風の被害は全国的には今回の被害も前回のときに劣らずひどかった」←間違い。被害規模は史上最悪らしい。京釜線も慶尚北道金泉市である川にかかっていた下り線の橋の橋脚が流され、現在はその前後区間が単線状態だそうで、輸送量も半分になってしまっているらしい。
 韓国のお盆に当る秋夕(チュソク)という期間の間、韓国では日本以上に激しい帰省ラッシュが起こる。今年の秋夕は20日から22日で、もともと休日なのだが今年は金・土・日に重なってしまっている。しかも韓国に振替休日はない。だから例年にも増して帰省ラッシュが猛烈になるのだが、そんな時期に鉄道の輸送量が半分というのは痛手だろう(橋脚なんて9月中に直るわけがない、いや今年いっぱい無理なのではないか)。慶尚南北道出身の人にとってはなんとも災難だ。

9月1日(その2)
 台風がたいしたこと無かったのは光州が幸運な方だったからで、全国的には今回の被害も前回のときに劣らずひどかった。光州は7月は西の方に、今回は東の方に台風の進路がそれたのだが、近くを通った事は確かだ。なのに2度とも、かつ8月中旬の大雨のときも降水量がそれほどいかなかったのは幸運だというしかないだろう。
 また農業的・経済的にも大打撃で、なんだかいいことがない。今日の午後は台風一過の晴天だったけど。
 根津嘉一郎(初代)を調べてみた。やっぱり東武鉄道の経営一族の根津氏と関係があった、というより実質的創設者だった(一番有名じゃん)。鉄道史をかじった人なら誰でも知っていそうだが、僕は根津という姓に聞き覚えがある程度だった。しかし検索すると、あちこちの鉄道やその他事業にかかわっている。これじゃ南朝鮮鉄道なんか埋もれてしまう。
※追記:検索で多磨霊園のページがヒットした。初代・根津嘉一郎は多磨霊園に眠っているらしい。しかし、園内の有名人の墓を紹介するページがあるとはちょっとした驚きだ。それにしても、多磨霊園とはね。

9月1日
台風ゴーイングアウェイ。結構風も雨も強かったとはいえ意外とたいしたこと無かった。外も歩けないほどではなかったし。まあでも川はこれからが増水の本番かもしれないし、被害の全況が分かってくるのは明日午後以降だろう。
2日明けで新・羅州駅をアップ。これで今回の在庫(?)は終了。でも実は、光州線の補完写真を長いことアップしていないんだよな。



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