現在の日誌へ 過去の日誌/過去の更新記録へ ■2002年9月21日までの日記■※この日付を最後に、「さるさる日記」のサービスへ移行。 運行日誌 *更新記録と、それにまつわる話と、関係ない日々の雑記など。
木浦では朝ごはんに中華屋のクッパを食べた。そこしか営業していなかったからだ。で、真っ赤なスープが出てきたときには、やばい、とおもったのだが、それほど辛くない。いや、汗が出るほど辛いことは辛いのだが。 僕は中華屋の辛いスープというと学校の裏手にある中華屋の辛いチャンポンのスープを基準に考えるのだが、この木浦の中華屋は、学校裏の店のようにやたらピリ辛くないのだ。こういう味もあったのか。というより、学校裏の店にだまされたという感じだ。韓国の中華屋で辛いスープはみなああなのかと思ったら、単にラー油の入れすぎじゃないのか。 ・・・いや、いつだったか昔の金浦空港でたべたチャンポンもピリ辛だったな。すると木浦の方が異端的なのか?でも日本人として僕は断然こっちを支持する。 鶴橋駅は、大阪のコリアタウンと偶然にも同じ名称という事で、行ってみようと思っていたところだった。そこで、帰りに寄り道してみた。 詳しくは写真をアップした際に書くが・・・なんというか、なんとも言えない気分だ。
前後するが、韓国の廃線の表をアップした。HTMLそのものは随分前に書いてあったものの、他のサイトからの転載なので迷っていてアップしていなかったが、今回元ページの消失が一応確認されたのでアップすることにした。 トップページにアップした新しいバナーは、本当は一週間前にアップロードされていたもの。学校の4階の窓から撮った無等山の写真をWIN付属のソフトで加工した代物だ。同時に、今回更新した光州線の写真も、撮ってきたその日のうちに選んで加工してアップロードしてあったのだが(その際、実際のページのアウトラインも頭の中では出来ていたのだが)、どちらも結果的に1週間、占用しているディレクトリで寝かせる結果になった。すぐにやらないのはなぜだか、自分でも説明がし難い。 今回の背景色は黄土色に近い、これまでとまた違った系統だ。湖南線では群青系から明るめのネイビーブルーのような色へという展開だったが、今回は今までの薄緑系と湖南線の灰青系のどちらも違うような気がしたのだ。計画としてはこの後、第1区の2から第2区にかけて、グラデュエーションをつけて第3区の薄黄緑とのギャップがあまりないように持っていきたい。あと、解説文もまとめて、インデックスページも作ろうかと考えていて、このページの配色は光州線解説ページの配色と基本的に同じにしようかと、現段階では考えている。 とにかく、一応廃線の大手サイトの一つからリンクが張られたので、個人サイトのみっともない部分はなるべく削ると同時に、見に来る人を不快にさせないようにデザインを絞っていきたいと思う。・・・とは言っても、肝心の写真コンテンツが更新やたら遅めではいかんのであるが。
韓国のお盆に当る秋夕(チュソク)という期間の間、韓国では日本以上に激しい帰省ラッシュが起こる。今年の秋夕は20日から22日で、もともと休日なのだが今年は金・土・日に重なってしまっている。しかも韓国に振替休日はない。だから例年にも増して帰省ラッシュが猛烈になるのだが、そんな時期に鉄道の輸送量が半分というのは痛手だろう(橋脚なんて9月中に直るわけがない、いや今年いっぱい無理なのではないか)。慶尚南北道出身の人にとってはなんとも災難だ。
また農業的・経済的にも大打撃で、なんだかいいことがない。今日の午後は台風一過の晴天だったけど。 根津嘉一郎(初代)を調べてみた。やっぱり東武鉄道の経営一族の根津氏と関係があった、というより実質的創設者だった(一番有名じゃん)。鉄道史をかじった人なら誰でも知っていそうだが、僕は根津という姓に聞き覚えがある程度だった。しかし検索すると、あちこちの鉄道やその他事業にかかわっている。これじゃ南朝鮮鉄道なんか埋もれてしまう。 ※追記:検索で多磨霊園のページがヒットした。初代・根津嘉一郎は多磨霊園に眠っているらしい。しかし、園内の有名人の墓を紹介するページがあるとはちょっとした驚きだ。それにしても、多磨霊園とはね。
2日明けで新・羅州駅をアップ。これで今回の在庫(?)は終了。でも実は、光州線の補完写真を長いことアップしていないんだよな。 過去の日誌/過去の更新記録へ >ホームへ
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