uranikki.
表に書くにはちょっとアレな話題など。





8月27日
リンクしてくれてありがとう。だけどあきら氏、「非常にマニアック」とか「すごいですよ」とか、・・・そこまで言わないでも。反論できないところがつらいが。
 というか、廃線趣味は鉄道趣味の内の上級、なのだろうか?「廃墟サイト」とかを見ていると、廃線とは結構共通点があるような気がする。僕も含め、一般の鉄道ファンにはないものを心に持っている人たちのような気がする。大体僕なんか、今走っている日本の鉄道についても韓国の鉄道についても、素人以上マニア未満の知識しかない。純粋な(?)鉄道サイトに行くと、聞いた事のない用語で会話がなされているのを見てカルチャーショックを受けるほどだ。
 で、そんなことを改まって勉強する気は今のところ無い。写真に撮れればいいだけだ。


12月18日

ある夜の、あるスレの記録。こんなものを加工しているほうもどうかしているが。

12月19日

結果。なんつうか、素で(素って何だ)ほっとした。


2月13日
英語の課題が締め切りを過ぎてしまった。1日1ページはやるのだがそれ以上がどうしてもやる気にならない。今はネット依存状態だが日本にいるときはそうでもなかったし、今依存といってもどのサイトを見ても掲示板を見てもすぐに飽きて見たいものが何もないまま取り留めなくyahooのニュースをクリックしたりとか初めて見るサイトからふらふらリンクをあちこち辿ったりとかでなにかに入れ込むこともない。だからそれはあまり本質的なものではなく問題は別の所に確実に存在するのだろう、確実にかなり大きな問題が。
3月からそれを解決するために出来ることをしたい。

それにしても英語だ。英文韓訳の修正だ。しかも、セミナーで赤ペンを入れた分のプリントを紛失してしまったので原文と対照して一から自分でやり直さないといけない。救いは同じテキストの日本語訳版(専門書なので高かった)が手元にあることだが、これはフランス語の原本から直接訳しているので英語版と食い違う箇所も少なくない。すごく鬱だが遅れればそのままみんなの訳文をまとめる役のyj君に直にしわ寄せが行くこともちゃんと認識しないといけない。
いやだ、でも、やるんだよ!

週末はどこかへ行こう。未成線の続きは日本に帰る前にコンプリートしないと。あるいは江原道の東海北部線の休止線も見に行きたい。そんで帰りは日曜日、江陵発光州行きの週末列車のムグンファ号で。もう席は取れないかな?
ともかくそのために。いま12時10分。これから何が出来るか分からないし今現在食欲も湧かないのだけど今日の日記はこの辺で終わろう。


9月24日
「無等日誌」ログ。
多分後で消すので。


■2003/09/24 (水) 夏・秋・花火

いきなりどん!と花火の弾ける音がしてその後にぱらぱらと続いたのでまたヘテ[注]の選手がホームランを打ったか、という大まかにはあっている感想を思ったところ、向かいの建物の下のほうの窓辺で子供が空を見上げている、その建物にはなんかちかちかと光も反射しているので違う!と思い屋上に駆け上がってみると、裏手の、学校の方から花火が打ち上がっている。なんで今オレは自宅に居るんだ!とか、しかも6階建ての考試院が間に入って下半分見えないし!と思っていたら割とすぐに止んだ。花火大会だったらあの短さはないと思う。聞いてないよ!とかも思ったけどあの短さでは無理もないか。今日は学園祭3日目、祭りは学校のあちこちで天でばらばらに行なわれつつ金、土にかけて収斂して行きクライマックスを迎える。今年は去年と違って、最後にキャンプファイヤーの周りを回るカンガンスルレの輪の中に入って行ってもいいような気もするが実際に見に行ったら結局見ているだけかもしれない。でも今回は見られない。あさって用事があって短期間日本に帰る。そのために金曜の授業を休まなければならない。なんで全校休講とかにはならないのかな。とはいっても全校の学生を引き受けるほどのイベント量は全体としては無いだろうな。かくしてあるものは授業を受けつつ、あるものはサボりつつ、あるものは休講の恩赦を受けつつ祭りに参加したりしなかったりただ傍観したりする、そんな学園祭も今年で3回目だけど途中で居なくなるというのはやっぱり嫌だなあ。こんな日程にしなければ良かったとこの点に関しては確実に後悔。

今日の日誌は相当変なので読みづらいと思います。最後まで読まれた方、お疲れ様です。

[注1]ヘテとは、起亜タイガース(本拠地:光州)という球団の前の名前、ヘテタイガースの略。ホームランがでると球場の近くで花火を打ち上げるらしいが、一度も観戦に行ったことがないので仔細は不明。
[注2]ヘテ改めキアタイガースのホームページはしょっぱなからフラッシュ動画。「挑戦」「プライド」「前進」とかの標語のような英単語が羅列するあたりはいかにも韓国っぽい。ただし2度目からはフラッシュの途中でメインページに飛んでしまうことがあるので注意。
[注3]こっちではフィーバーも何もありません。



つうか阪神と言うより広島だよな。色も赤だし。(追記)
追記2:でも優勝争いには食い込んだんだよ。強いんだよ。その点では広島というより中日に近いかも。結局優勝は出来なかったけど。


だいぶ前に、ネット上の宅間守の記録を読んでいた。たしかに彼の育った環境はあまり恵まれてなかったけど、それについて実質的に何かしようとすることなく、すごく怠惰な方向へ思考を向けていった結果だ。


2004年1月31日
今日、ふと思いついて、YAHOO!JAPANの「廃線」カテゴリーへの登録を申請しようと思った。今までは、見ず知らずの人がYAHOOを通じて多数来訪するというのがなんだか怖くてやっていなかった。カテゴリには登録されていなくても、「韓国」「廃線」で検索するとうちのサイト内のページがトップでひっかかる現状も、「まあ、このままでもいいか」と思う理由になった。
今日思いついたのは単に、サイト運営の動機の強化の足しにでも、と思った軽い気持ちからだ。
でも結局、申請のメールは送らなかった。やっぱ申請してしまうと、隅々まで見に来るかもしれない。そうなると、現在、同じgeocitiesの中とはいえサブカテゴリーの異なる3つのアドレスにまたがってサイトを運営していることが分かってしまうかもしれない。自分が読んだ限りではそうした行為を禁止するような条項は、使用規約の中には見つけられなかったのだが、まあ容量制限を事実上飛び越えるようなやり方だから好ましくは思われないだろう。YAHOOの運営するgeoでレンタルしているからこんな心配をしなくちゃいけないんだけど。
それに、廃線というカテゴリに掲載されるなら、「バックヤード」の過去日記とかはあまり好ましくない。いや、今だって好ましくないんだけど、その辺は自分の甘えだ。でも、もしyahoo登録を願うのならその辺は切り捨てられないといけない。
このページもそうだ。こんな所に表の日記には書きづらいことをグダグダ書いているのはまさしく甘えに他ならない。

で、結局、「東アジア鉄道イソウロウ事務所」もYAHOOには登録していないのだから、なのにあれだけのアクセス数をはじき出せるのだから、なんかウチごときが登録申請なんておこがましい、とかなんとか言い訳だか誤魔化しだか分からない結論で先送りした。
でも、その後、いままでほっぽらかしだった古い時期のページを少しずつ見直そうかと思って一部のページの改訂に着手してみた。




2ちゃんねるのweb製作管理板で「ホームページ閉鎖文コレクション」というスレッドを見ていた。多いのが、コミュニケーションの過程での問題発生だ。要するに荒らしとか、誹謗中傷とか、酷いのはパスワード当用によるサイトの改竄(これは犯罪だ)。
あとは、絵や小説、素材等のサイトに多いけど意欲の低下や多忙。


・・・このサイト、自分がやっている「無等鐵道」はどうなのか?   ・・・まず、韓国から脚が離れるとこのサイトの更新継続が危機に瀕する。実際、昨年の休学中は更新すべきコンテンツがあるにもかかわらず―――しかも、結局はその全てを消化しないまま現在に至るのだが―――更新は滞りがちになり、一ヶ月の間が開き、カウンタの刻む数は土日を除けば一日1桁が通常になっていった。
こんど韓国を離れるときには学業をひとまず終えた段階である可能性が高い。つまり、再び韓国に長期滞在するという見込みが全く不明な状態になる。前回はまだ、学籍を残しての休学だったのだが、それとは違う。
サイトの意義が変わる。
つづけるなら、ここはデータベースとして残していくことになる(もちろん訪韓の機会があればネタを仕入れる探訪を大いに行いたいけど)。

そして、逆にもし、やめるとしたら・・・更新が終了したので閉鎖します。こういうことになろうか。その際でも、「解説」に含まれる文字や地図のデータについては保存しておきたいと思う。廃線探訪の楽しみは僕自身がよく知っているし、僕がこのジャンルにはいる前からこの分野で調査や探訪を続けてこられている方は何人もいる。あるいはこのサイトがきっかけで新しくこの世界に足を踏み入れる人もいるかもしれない。そういう人たちのために、またはそういう人たちの中から新たにウェブ上で活躍する人が出てきたときのために、データは最低限をウェブ上に残しておきたいと思う。

どうなるのか、今は分からない。でも、この先についていろいろ考えるようになったのは事実だ。
この裏日記についても。これまではせっかくの記録は残しておくべきだと思っていた。でも、消してしまっても良いものも実は少なくないんじゃないだろうか。くだらないこと。過去への無意味なこだわり。変な感傷。そんなものは、紙にでも印刷してルーズファイルの中に放り込んでおけばいい。
そして、残しておく意味があるもの、他人に読ませられるものだけここに残し、リンクを表面に戻そう。


荒らし。このサイトに関しては今のところ無縁だろう。・・・コミュニケーションをとっていないし、そうしたいと僕が余り強く思っていないから。掲示板でのコミュニケーションが成り立たない理由としては、韓国の廃線という共通の話題を共有できる人が少ないこと、日本の廃線のように広範な情報に接する方法が乏しいこと。かつ、韓国の現役の鉄道に対する僕の知識が貧弱なためそちらの話題でも盛り上げられないこと。などなどの理由も、確かに挙げられるけど基本的には僕が掲示板での純粋なコミュニケーションを望んでいないことによるのだと思う。
実際、廃線に関する情報でさえ、レスに詰まり、結果として一週間やそれ以上の期間放置してしまったことが一度や2度ではない。(むしろそれでも投稿してくださっていることが奇跡だ。) 素直に告白すると、顔の見えない相手とのコミュニケーションに、自信が無いのだ。こういうことではネット社会ではやっていけないのかもしれない。でもそうだとしたら、僕はあまり多くの労力をネットでのコミュニティーへの適応に充てる気にはならないのだ。


文章をどう締めればよいかわからなくなってきた。とりあえず夜も更けたので、徒然書きをこの辺りで終えてみる。

2004年2月2日
サイトを閉鎖する人に24の質問」作ってみた。
で、回答してみた。初の回答<当たり前だ。

うーん。どうだろう。
とりあえず冗談半分で答えてみても、問題意識が多少浮き出るようになっているかな・・・

2004年2月3日
「東アジア…事務所」の掲示板で一時停止が発表された。でも、ためしに書き込んでみたら書き込みは可能だった。
「レスが出来ません」ではなく「休止します」なのはなんでだろう?
やっぱ、件の台湾新幹線スレッドの小事件が影響しているのかなあ・・・
個人的には、MINEYUKIさんが別のところで「音がちょっとうるさい」とか、加減速の制動性には電車型と比べるとPP型にはやや難がある、なんてことを書いておられたのでなんとなく、TGVより新幹線型のほうがいいような印象を持った事は事実。
ただ、日本側が技術移転を拒むような形で輸出をしようとしていた、というK-lokさんの指摘が正しいなら、これは日本の工業界の世界戦略としてどうなんだろうか・・・すでにドイツ式電気機関車とかも入っていることだし(ドイツ産のものは日本にもだいぶ入ってきてはいるけど)、このままではヨーロッパの技術が世界標準化して行ったりしないのだろうか。
・・・なんて、素人のたわごとですが。しかし、東南アジアの電化製品市場を韓国ブランドが席巻し、日系は底辺に追いやられているというニュースを見たとき、「このままでは、日本の製品はかつてのソニーのベータマックスビデオと同じようなことにならないか」なんて、素人臭い心配をしてみたことがあります。

それとはちょっと話が違うけど、個人的に、台湾が韓国ほど重工業に力を入れていないので新幹線の全車輌を自作せず輸入で賄っていく方針なのだとしたら、それはそれでありかなとも思う。国のスケールを考えたときに、戦略産業の適切な取捨選択というのも、経済発展計画の中の一つの選択肢だと思うから。
・・・まあ、台湾の輸出入の内訳などの詳しい事情を全く知らずにこんなこと書くのはどうかしているけど。


2004年2月6日
「韓国鉄道旅行案内」の情報掲示板から転載。
情報提供・翻訳:jinwoong様
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「トンイル号列車消え去る、来年3月、地域住民反発」
(11月27日、韓国経済新聞)
来年3月から中央線など全ての鉄道路線からトンイル号列車が消え去る。
これに対し、トンイル号を利用している該当地域の住民らが強く反発している。
27日、鉄道庁は、高速鉄道開通を控え赤字路線の整理などを通じた経営
改善を進める次元から、ソウルの清涼里駅と釜山の釜田駅を結ぶ中央線
列車など全路線のトンイル号を廃止することに決めた。
トンイル号の車両数は現在、計252。
中央線の場合、一日一回運行される釜田発清涼里行1222列車、清涼里
釜田行1221列車がムグンファ号に置き換えられる。
また、そのムグンファ号も、清涼里−栄州間、栄州−釜田間の二つに分割
され栄州駅を始終発駅とすることとなる。
鉄道庁関係者は「高速鉄道の開通に合わせ全体的な列車運行体系を改編
しているところ」であり、「高速鉄道が開通すればムグンファ号が余るので
耐久年数を迎えるトンイル号は廃車することにした」と語っている。
また、関係者は「トンイル号がムグンファ号に置き換わると庶民の運賃負担
が増すことになるが、ムグンファ号運賃の最低距離を現行の100kmから50km
に引き下げ、短距離通勤客の交通費の負担を和らげる対策を準備している
ところ」であると説明している。
このニュースが伝えられた安東、栄州などの沿線住民と地元議会は
「顧客サービスをないがしろにしたままで赤字財政を補おうとする方便」
であると反発している。
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2004年2月18日

だいぶ削った。

2004年2月22日

数ヶ月前、当サイトをご覧になった水野先生から、光州線と咸平軌道の情報に関するメールを頂いた。先日、ようやく水野先生とお会いできた。私はメールを頂くまで、水野先生が光州でそんな調査をして同好会の会誌にリポートまで寄稿されていたとは夢にも思わなかったが、その世界では周知のことだったのかもしれない。ともかく、韓国の廃線探訪のパイオニアのうちのお一人といえるだろう。
・・・自分の事について変にぼかしても仕方がないので明かすと、私も水野先生とおなじ大学、ただし別の学部に在籍しているため、大学構内で会うことになった。昼過ぎの学生会館の前で待ち合わせ、売店のスペースにある休憩コーナー(テーブル&椅子アリ)に落ち着いた後、まず資料を頂き、それについて解説をしていただき、またいろいろ貴重な話も伺った。伺った内容をここで詳細に紹介するのはさすがに差し控えようと思うが、先生が光州線を探訪された当時は、今は片側2車線の車道になってしまった廃線跡がまだ線路の面影を残していたそうである。見たかった・・・
それにしても、そばの通路を通り過ぎていく学生のうち、先生に気付いて振り返る学生が少なくとも1/4〜1/3以上はいた。・・・なんだか気疲れしそうだなあと思ったのだが、御本人はだいぶ慣れていらっしゃる様子で、最初に席に着く際にも休憩コーナー(ガラス張り)の外からみえにくい席をさっと選んで座られたことが印象的だった。あと余計なことを言えば、全羅道方言だけでなく日本語で喋っても、面白くて人を惹きつける話し方をされる方だと感じた。人気の理由には当然そういう部分もあるのだろうと思う。
それにしても、最初にメールを頂いた頃にこちらがメールボックスのチェックを怠っていて、3週間くらい過ぎてようやく返答のメールを出したものの、先生のほうが多忙でなかなか機会がなかった。こちらの利便のためにお会いしたいわけだから、むしろもっとこちらから頻繁に連絡を差し上げるべきだったと今になっては思うが、つい気後れしてしまった。
ちなみに同じ大学とはいえ建物が違い、かつ先生自身が大変お忙しい方なので、今まで顔をあわせるような別の機会はなく、今回はじめてお目にかかることとなった。本当を言うと、「韓国で」とはいえ「有名人」と直接喋るなんて初めてなので、無等日誌に書きたい気はあるのだが、あまりはしゃぐのもみっともないし、水野先生の名前を利用した宣伝みたいに見えるのもいやなのでこちらで書いてみる。






2004年9月15日

だりい。
あー、たしかに無等日誌には9月に更新とか書いたけど。

全羅線はもう随分前の話でやる気なくしてるし、慶北線は残りの写真ってえのが遠くから撮ったり廃線跡だかなんだか分からない写真だったりで、あんま公開しなくてもいいかなーとかだんだんめんどくさくなってきた。

なんかもう、ね、えーと、ほら。

まあいいや。とりあえず「ひぐれまえのさんぽ」の分だけ別スペースに移す作業を・・・・そのうちやります。そのうち。ううー。あー。



2005年3月12日

もうずいぶん更新していないので、とりあえずどこか更新しておこうと思い、どうでもいいようなことを書いてみるテスト。
うーん、全州市内の全羅線旧線跡、そのうちやらんとなー。でも個人的には現役時代に何回も訪れた南原‐任実の間の区間の旧線が気になってる。韓国のことだからもう線路の撤去はずいぶん進んだんだろうな。駅舎はどうだろう。そういえば、去年の夏にも実は南原駅を訪れたのだが、ちょうど新駅に切り替わった2,3日後で、駅前にはためく鉄道局の旗を眺めていたら・・・あ、これ以上はちょっとやめとこう。また次回に。
でもそれ以外にも、2003年の旧正月以来2度目に全州市内の全羅線旧線跡の、寒碧堂(字が違うかもしれない)裏のトンネルを見にいったんだった。それを手始め手にのっけて、ぼちぼち更新した方がいいのかなあ。でも今はちょっと無理だ。ごめんなさい。



2005年6月12日

あと4日で仕事が終わるよー。といっても首じゃないよ。でも明日までの仕事がものすごく残ってるよー。やりたくないよー。助けてー。


はあ。この仕事向いてんのかなぁ。なんか厳しいなあ。どうしようかなあ。




2006年7月15日

連休中。連休明けのシゴトのための準備は、まだしていない。

一年前にこの仕事向いているのかなあなどと悩んでいたが、今のところ向いていないんじゃないかと思う・・・


先週の日曜だったか、朝のテレビでサッカーの中田英寿の引退について取上げていた。なんか中田が「自分探しの旅」にでる、とかいう言い方で、それについて台湾出身の評論家がそういうのは残念だ、とかコメントしていた。中田が「自分探しの旅」というのは、僕にも違和感があったがそのときにホームページを見ても込んでいて見られないと思って、今日初めて「nakata.net」を直接確かめた。
やっぱりそんなことは書いていなかった。分かった気になってそういうまとめ方をしちゃうのっていやだなあと思う。ねえ、番組スタッフさん。


とかいっている自分はまず今の仕事をやめた後のシゴト探しについて考えなければいけないはずなのだが・・・

なんかねぇー、言えないんですよ。誰にも。・・・昨年の年収。いや、自分でもビックリ。どのくらいなのかここでも書けないくらい。

だから昔の友達に会うのも億劫で。でもそんなこと気にしてるほうが人生にとってマイナスだよね。こんど友人のサイトのオフ会には久しぶりに参加しようかな。近所だし。





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