本当にカウントダウン


岐阜市内線・揖斐線・田上線・美濃町線の営業は、平成17年3月31日(木)の最終営業列車をもちまして終わらせていただきます。(名古屋鉄道株式会社の告知文より)




前回、揖斐線黒野駅を訪れた際には乗車しなかった田上線・美濃町線(運行系統上は、新岐阜−田上−北一色−関間と、野一色−北一色−徹明町間)に乗車してきました。(2005.3.26)


■新岐阜駅前


新岐阜駅前に停車している黒野行きの電車。


揖斐線系統や、その他のほぼ全電車(古い車種は除く)の前面に、廃止を告げる挨拶文が掲げてある。


岐阜駅前−新岐阜駅前間の短い区間は、公式な扱いは「休止」だが、既に線路の一部はアスファルトで埋められていた。このまま、廃止後も線路の痕跡を伝えながら残っていくのだろう。



■新岐阜−関(美濃町線、他)


さて、美濃町線。黒野方面の市内線とは異なり、新岐阜駅構内の7番線から発着する。

ややこしいのだが、線路の名前は、新岐阜−田上間は各務原線(これは存続)の上を走り、田上−競輪場間が田上線、競輪場−関間が美濃町線、ということらしい。ともかく、路面電車の廃止とともに、新岐阜駅のこの7番ホームも廃止されるという。

朝早い時間の下り電車ということもあってか、乗客の半分以上が同業者(ドウゴウシャと読む)風の人々。苦笑いするしかない。

しかし、これだけ新しい車体も、廃止と共にお払い箱になってしまうのだろうか。別に古い車体はスクラップにしても構わないと言うのではないけれど。





それにしても、車内で人目をはばからず写真を取り捲る人がいて、困ってしまった。運転士が運転している最中に横から覗き込んで撮影している。傍目にもいいものではないし、もし同意無しにとっているのなら運転士の方も気分のいいものではないだろう。撮影することによって記録は残るかもしれないが、思い出の本当のディテールは写真に吸い取られてしまう。そのことを承知で撮影しているのかどうか。






終点の関駅にて。長良川鉄道との乗換駅だが、4月からは関からの鉄道は長良川鉄道一本になる。
美濃町線の関駅は、新関−美濃町間が廃止されたあとに設置された駅だと聞く。美濃町駅が廃止された後も線名に「美濃町」の名前は残っていたが、それが改名されるより先に全線が廃止になってしまう。




関駅に停車する長良川鉄道の列車



美濃町方面へ続く道路は整備が進んでいる。 ここから反対方向に歩いて数分で、昔からある美濃町線のターミナル駅・新関駅はすぐ。




新関駅前。バスの折り返し所としては鉄道廃止後も残るようだ。




新関駅に進入する関行き電車。



さっき乗車してきた電車が、岐阜行き電車として引き返してきた。田上−競輪場前−関は単線なので、数箇所の交換駅でタブレットの交換を行なう。新関駅では駅員の方が交換を受け持っていた。



帰りの車窓から。赤土坂駅や、駅員の常駐しない駅では、運転士同士が直接タブレットをやり取りする。撮影できなかったが、ホームが線路の両側にある場合や、駅が路面区間にある場合は電車の窓越しに交換をしていた。



白金(しろかね)駅。東京メトロの南北線に同名の駅がないのはこの駅のせいだったのか?
東京の、何も知らない人に「シロカネ駅って、3月いっぱいで廃止なんだって」と言ったらどう反応するだろう。




■野一色−徹明町間

野一色駅で、運行系統上は別になっている徹明町方面の電車に乗り換える。
徹明町行きの電車は、新岐阜行きの電車の行き先をふさぐように停車していた。それらの風景を見ながらボーっとしていて乗り遅れそうになり、写真をとる時間はなかった。だいぶねぼけているようだ。

徹明町行き電車の車内。500系というのだろうか、だいぶ古い車体だった。でも床は木ではなかった。
高校のころ、スクールバスのうちの一台の床が木でできていたことを思い出した。一体何年ごろの製造だったのだろう。在学中に新しい車(それでも中古だけど)に置き換えられて姿を消してしまった。



徹明町電停にて。
周りの歩道中から、同業(ドウゴウ)の人たちがカメラを構えていた。貴重な古参車輌の最後の姿と、揖斐線方面への電車のカーブ通過が狙える地点のせいか。競輪場前の交差点でも、この電車を迎えるカメラの束に遭遇した。3月31日にはこの辺りはどうなるのか。

追記:この車両(592号)、路線廃止後は高知の土佐電鉄に移籍し、活躍している。


といいつつそのなかに混じって・・・
黒野行きのラッピング電車。

関係ないが、広告に登場している高橋尚子選手にとっては、あまり縁起のいいものではないような気が。彼女には引退して欲しくない。



神田町5丁目のマクドナルドから眺めた電車。

それにしても。電車の、向かって右側の路上に緑色に塗られた箇所が、乗降場なのだ。初めて見たときは信じられなかったが岐阜市内の路面区間はほとんどすべてこの形式だ。
電車がいないとき、車は平気で乗降ゾーンの上を走っていく。右折レーンのない交差点に面した乗降場は、事実上右折レーンと化している。電車が来ていないとき、乗客は緑のゾーンの上を踏んでいく車を眺めながら歩道で待たなければならないし、電車から降りても、すぐ脇を走る車にひかれないよう、電車の後ろにぴったりつけてくる右折車も見ながら早く歩道へ逃れなければならない。


路面電車と、バスとを比べたとき、乗客にとって路面電車の優れている点の大きなものが安心感や安定感だと思う。乗りごごちの揺れの少なさと、軌道の上を走るという心理的な安定感。
でも、岐阜市内の路面電車の、この危険な乗降環境はそれらの安心感をかなりの部分で帳消しにしていたんじゃないのか。
そんなことを考えたのは、この日の午後、豊橋の市電に乗ったときだった。





>>(豊橋の市電編:工事中)



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