■今までに乗った韓国国鉄の路線図■
(2005.9.25最終更新)


韓国国鉄既乗路線図

今までに乗った、韓国国鉄の区間を路線図の上に塗ってみた。



湖南線は松汀里を境に分かれて乗車しているが、光州→木浦、光州→ソウル、松汀里→ソウルと乗車したので、北松汀の三角線は全て通ったことになる。でも大田−西大田という難関は残ったままだ。慶全線も順天→松汀里→光州、西光州→亀浦という乗車によるものだ。
全羅線はオス駅から順天まで下ったのが昨年10月(このとき麗水まで乗りとおしておけばよかったと後で後悔)、逆にオス駅から益山まで上ったのがこの間の秋夕のときだ。ちなみにこの間は、益山で光州行き特定統一号に乗りかえた。オスからのソウル行無窮花は秋夕休暇のUターン客のため相当遅延していて益山での乗り換えがギリギリだった。
そして今年の10月に谷城鉄道公園に行ったついでに谷城駅からようやく麗水まで乗りとおし、全羅線コンプリート。時間かかりすぎ。

また、大邱−浦項は京釜線のついでに乗ったのでもソウルからセマウルで乗りとおしたのでもなく、光州から東大邱までバスで高飛び(?)して乗車した区間だ。

ちなみにソウル圏のあたりの略図は本当にいい加減だ。電鉄線は学生の頃に何度か乗ったきりでとんと縁がないためだが、一応地下鉄と直通の盆唐線、一山線、果川線、安山線も書き加えた。どれも全然乗っていないけど。

京義線は統一展望台に行くのに金村まで行った。まだ臨津江や都羅山駅が開業していない頃だ。それ以上は行っていない。京元線はそもそも地下鉄1号線の新設洞より先は乗っていない。回基−龍山間の電鉄区間は玉水から龍山まで乗る機会がたまたま一回あった。だから地上も地下も、清涼里には全く足を踏み入れていない。2003年11月上旬に用事でソウルに行った際、時間があれば議政府まで電鉄線で行き、そこから郊外線に乗ってソウルに戻ってくる計画を立てたが都合により行けなかった。



2003年暮れから年始にかけて、東海南部線の慶州以南、および中央線を制覇(?)した。ついでに京元線の電鉄区間も完乗←間違い。清涼里−議政府(北部)までの電鉄区間も京元線(ボケボケです)。
これが、伝説の統一1222号を全区間乗りとおしたのなら誇りもするが、安東で廃線探訪&一泊を挟んでしまったのでただのヘタレである(そうか?)。それでも安東までの約5時間半、安東からの約7時間は結構疲れる。というか、安東−蔚山間はかなり単調なので、下りの1221列車だとこの辺りで飽きが来るかも・・・しかし、完全完乗挑戦者の方には松亭−海雲台の車窓を見るまでは堪えていただきたいと切に希望する。


今乗りたいなと思うのは群山から船で渡る長項線と、スイッチバックの嶺東線。だが嶺東線は先の台風「メミ(蝉)」で路盤が流出したと聞く。2003年10月末に再開したとの事だが、そんなに早くて大丈夫だろうか。

一度、江陵−光州の週末列車に乗ってみたいと思うのだが乗っているうちに飽きないか、疲れないか心配だ。・・・って、無窮花号なのだから統一号よりはラクだろう。チャレンジしてみるか・・・

で、もし日誌に書いた計画通りにチャレンジするとなるとこうなる。慶北線、嶺東線、忠北線全線(短絡線除く)と太白線のほぼ全線を乗りつぶすことになるが、旋善線を乗り逃すことになる・・・まあ、太白線の東端区間は短絡線経由の関係で乗らないわけだからどっちにしろ完全では無いのだが、旋善線起点の甑山を素通りするのももったいない気が・・・なんかうまいこと組み合わせがあるかな。



2004年2月14日〜15日に、懸案だった江陵→光州の無窮花号列車などに乗ってきた。
乗車した路線自体は、以前無等日誌で書いた「B案」の計画通りだが、日程は2日間になった。
14日の早朝、光州発の釜田行き統一号に乗り、釜山手前の亀浦まで行き(三浪津でも良かったのだが)亀浦駅附近で昼食。亀浦から14時42分発東大邱・金泉経由栄州行きの無窮花号に乗り、7時過ぎに栄州着、そのまま栄州泊。二日目はやはり早朝の、6時10分栄州発江陵行き統一号に乗り江陵まで。江陵にてちょっとだけ観光した後、日曜日にのみ運行される、13時10分発江陵→光州の長距離無窮花号を、終点の光州まで延々10時間近く乗りとおして、定刻よりやや遅れた午後11時過ぎに光州に着いた。
当初計画では間に慶北線旧線と東海北部線の路盤跡の探索を組むつもりだったが日程の都合で土曜日出発となり、結局ほとんど乗るだけの旅になった・・・
しかし、嶺東線の山岳区間は、乗ってみるだけの価値はあった。とくに朝6時10分発の統一号江陵行きは、出発時には辺りが真っ暗だったのが、だんだん空が白み始めて周りの山容が明らかになっていく。朝日に照らされてオレンジ色に染まる雪山などはよそではなかなか見られない。
で、統一号に栄州から乗るなら、車窓の景色から言って座席は右側がいいと思う。春陽(チュンヤン)という駅に着く手前、線路はトンネルをくぐると町の西南の山の山腹に出て、直後に町を見下ろす鉄橋を渡り、そのあと町をとりかこむようにして180度ぐるっと右回りしながらゆっくりと下りていって、町の東にある春陽駅に着く。駅に停車中の車窓からは、今しがた通ってきた高い鉄橋が駅舎の向こう側に見える。周りの山に雪が残っていたこともあって、まるで絵にかいたような車窓だった。
承富(スンブ)の、うらぶれた雰囲気の集落の風景から一転、次駅の石浦(ソクポ)では線路の左に巨大なプラント群が聳え立ってその小さな城下町の家々や各種の建物群が車窓右に広がるというその対比。鉄岩(チョラム)の山肌にへばりつくように建つ炭鉱町の風景、桶里(トンニ)からの、トンネルとカーブを繰り返す雄大な山下り、そして興田(フンジョン)−羅漢亭(ナハンジョン)間、韓国唯一のスイッチバック。・・・
ちなみにスイッチバックに入る前には車内案内があるが、今回乗った統一号の場合、興田停車後、列車が後退する旨の案内放送の中で、「約5分間、後ろに進みます。正常運転です。」ということが強調されていたのが面白かった。確かに、何の予備知識も無しに、列車が後進してそして止まらなければ焦るかもしれない。
ちなみに、統一号から話は逸れるがこの急勾配区間、行きも帰りも、スイッチバック区間を含めて牽引(もしくは押し上げ)はDL一台だった(・・・ように見えた。でも、もしかしたら帰りの登りは、東海辺りで後ろに一台ELが連結されたのかな?)。帰りの光州行き無窮花号では、羅漢亭から後ろ向きで上り始めた直後や、ときおり上り坂のカーブで機関車が見えるたび、ものすごい排気ガスを出して奮闘しているのが見えた。お疲れ様。
再び江陵行き統一号に話を戻すと、道渓から東海までは比較的単調に川に沿って下っていくが、そこから先、海が良く見えるのはやっぱり右側である。無窮花号だと席が自由にならないので、この辺はやはり統一号の醍醐味というべきか。これが3月19日限りでなくなるのだとすれば惜しい。「乗り鉄」を目指さない人でも、機会があれば是非お勧めしたい。江陵まで行かずに観光名所の正東津駅で降りるもよし、帰りは夜行の清涼里行列車を利用することにして、午後は江陵一帯を半日かけて観光するもよし・・・なんて、他人事だから勝手な計画を書き散らしていますが・・・

ちなみに江陵−光州の週末臨時列車は、いろいろあって前日土曜日の夕方7時半に栄州で購入。駄目かとも思ったが席はあった。ただし、実際に乗ってみると、江陵を出たときこそ車内は閑散としていたものの、観光名所と成り果てた正東津駅でどっと人が乗ってきて、太白山脈の登山の玄関口としてポピュラーな太白線の太白駅(その名も)でも登山帰りの人が乗ってきて、けっこうな混雑振りだった。
しかし、忠北線を走るうちにだんだん客が減り始め、鳥致院でどっと降り、西大田でもかなり降り、益山でも降りて、光州に着く頃には自分の乗っていた車輌は乗客が数人しかいなかった。こりゃ、光州までは採算取れてないかなと思ったのだが、いざ終着の光州駅に降りてみるとよその車輌から思いのほかたくさん人が降りてきた。正東津観光をしてきたと思しき女の子のグループやカップル、なかには登山服のグループも目に付く。
実は、高速鉄道の開業に伴うダイヤ改正でこの長距離週末列車もなくなるか、あるいは区間を短縮するのでは、という危惧を抱いて今回乗車したのだが、観光列車としてこの程度の人気を得ているのなら多分、しばらくは残るのではないかと思う。
ただこの列車、メシが困る。江陵を1時過ぎに出発するときには昼食をとったばかりで腹もすいていないが、到着が夜の11時近くとなるとそれまで何も食べないわけにも行かなくなる。かといって、もちろん食堂車はない。車内で売られている弁当は5,000ウォン、量から見ると割高感が否めないし、暖かくもない。
しかし、今回はついていた。太白線と中央線の接続駅である提川に着いたのが午後5時48分。本来なら同53分着のはずが5分の早着で、発車予定時刻は58分だから10分の停車時間が生じた。このため、ホームのウドン屋で2,000ウォン也のウドンをすすることが出来、空腹に悩まされることなく旅を終えることが出来た。・・・が、これはたまたまこの日が早着しただけかもしれないので、本来なら乗車前に江陵にて海苔巻なり何なり、夕食を購入して乗るのが無難だろう。


ちなみに江陵−光州のルートを地図上で示すと、こうなる。



料金は、31,200ウォン。セマウルではなく無窮花号で3万ウォン超というのはなかなかないと思う。時刻表の運賃表のところで江陵−光州の距離を見てみると、556.3km。日本の東海道線で言えば東京−大阪間とほぼ同じ距離(なんだ大した事ないなとおっしゃるなかれ、ソウル−釜山間はこれより100km以上も短いのです)。名目は臨時列車とはいえ定期運行の列車としては最長である。時間も金もかかるわけだ・・・

が、正直、車窓のメインは太白線まで。忠北線は最初のうちこそ、交換待ちばかりしていた太白線の単線区間から複線区間に入って、この先は快適な運行かと思えたけれども、臨時列車の悲しさか、無窮花号にもかかわらず提川→鳥致院の所要時間は統一号とほとんど変わらない。つまりそれだけのろのろと進むということである。おまけにこの季節、提川辺りですでに日没を迎えてしまう。忠州を過ぎたあたりで車窓はモノトーンの色調を増し、あとは町や街灯や車の灯りだけが見える車外の闇は、車窓を映りの悪い鏡に変えてしまう。そして、鳥致院から先は何度か乗った区間なのであとは時間が過ぎるのをただ待つだけだった。それでも、初めて乗る人ならばそれなりに楽しめるかもしれない。・・・保証はしないけど。
それにしても、やはり疲れた。





2004年8月、果川線に乗った。・・・書き換えるのメンドクサイ。
…だったけど、ようやく書き換えました(1年以上後に)。しかし、もうすぐ鎮海線の旅客業務が終わる(2005年末)というのに乗っていない。このままでは、2004年3月末に電撃的に旅客が終了した郊外線に乗り損ねた時の二の舞だ。って、もう時間がない・・・




無等鉄道・バックヤードへ