切通しの遺構



切通しを正面から見る。


左:一番上の写真の左側手前に残っていた石垣。苔が生えて古びているので鉄道建設時の遺構の可能性がある。
右:同写真の右手奥側にあった石垣。かつての切通しはこれより幅が狭かったはずだが、今の道路を斜めに横切る形で切通しが造られたと考えれば辻褄は合うのではないかと思われます。

※(2005年追記)「100年の鉄道旅行」の、この未成線探訪記によれば、ここにはかつてトンネルがあったそうです。その後跡地を利用して道路を造成する際にトンネルが開削されてコンクリート構造物は撤去され、前後の石垣の一部のみが残ったものと考えられます。

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湧き水(薬水)横の案内板
豊山面案内図。
左側は現在地付近を拡大したもの。ハングルと英文で「Hyangga tunnel(400m)」というトンネルの図が描かれている。

さらに、左下に注目していただきたい。一番左下の写真と、その右上の写真に鉄道の遺構が写っているので。


まずは下と左からそれぞれ2番目の写真。上の写真でもわかるかと思うが、「ヒャンガトンネル」の写真。大きな荷を背負って歩く人たちの姿が映っている。


そして一番左下の写真。夏ごろ?の蟾津江の渡し舟を撮った物だが、背後の川の中にコンクリートのようなものが2本突っ立っている。形から見て橋脚に間違いない。

私は、この橋の跡については全く情報の無いまま、状況的にここにあるだろうという見通しでここまで来ました。つまり、この写真で初めてその姿を確認できたわけです。

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