無等日誌・2003-04年小旅行



■2003/12/28 (日) 旅程案

冬休み中に韓国内の鉄道を乗ろうかと思っていた。が、レポートの提出がズルズル遅れて、本当なら今ごろは仁川から光州に戻る途中なはずなのに光州にいる。テンションとして、レポート提出直後の金曜日の湖南線出動で、予定外の鉄分が補給されてしまった(笑)のが大きい。

でも、行かないのももったいないのでここで書き出してみる。

(A案)
1日目 6:22分光州→〔統一号1556〕→14:17釜山鎮→<釜山鎮−海雲台間統一号乗車&地下鉄2号線制覇>→釜田泊
2日目 6:20釜田→〔統一号1222〕→11:40安東→<安東市域の廃線跡探訪>
3日目 11:44安東→〔統一号1222〕→18:53清涼里
4日目 清涼里→京義線、郊外線〔統一号1534〕乗車→ソウル→水原にて旧水麗線探訪→帰光

・・・かったるいなあ(ぉぃ
安東下車をやめて統一号1222列車に最後まで乗るという選択肢もあるけど・・・きっついよなあ、12時間乗りっぱなしは。
ただ、この列車来年3月で運行打ち切り→無窮花に切替・栄州で分割という話が出ているだけに、今のうちに何らかの形で乗っておきたい気持ちもある。


(B案)
1日目 光州から、慶北線店村まで辿り着く→<旧慶北線探訪>→店村?安東?泊
2日目 <旧慶北線探訪>→栄州泊
3日目(土) 栄州6:10→〔統一号1241〕11:03江陵→<東海線未成線探訪>→束草泊
4日目(日) 束草→13:10江陵→〔無窮花769〕→22:54光州
 
廃線満載コースだが・・・体力持つ自信ない。(ぉぃ
東海線のあたりは、軍事上歩き回って大丈夫かという不安もあるし。
 

皆さんだったら、どちらに魅力を感じますか?

なにはともあれ、皆様よいお年を。


■2004/01/03 (土)〜01/06(火) 新正月小旅行記

あけましておめでとうございます。
トップの写真を替えようと思うのですがまだ絞り込んでいません。

  *  *  *  *  *

12月31日〜1月3日未明にかけて旅行してきた。計画案は28日に書いた物の内、(A)案にほぼ従ったもの。・・・出だしの光州→釜山はバスに頼ってしまいましたが…あと、最後の一泊一日を端折って、夜行の無窮花号で帰光しました。


1日目−12月31日(水)
●(光州−<釜山行き高速バス>−)斗実駅−<釜山地下鉄1号線>−釜山駅−<東大邱行1306統一号>−海雲台−<同地下鉄2号線>−西面−<同地下鉄1号線>−釜田洞

この朝、割と早起きして準備などはじめたのだが、6時20分の光州発釜山鎮(プサンジン)行に間に合う時刻には出られなかった。なんだか行きたくなくなるが、時期と時間はあるうちに使わないと損だと言い聞かせて遅めの出発ながら、とにかく出宅。昼の無窮花号では着くのが夕方になってしまうんで、バス利用。釜山の高速バスターミナルに到着する前に釜山地下鉄1号線の斗実という駅の前に停車したので、そこで降りた。地下鉄を利用して釜山駅に向かう。


釜山駅は新駅舎がまだ工事中。写真右下の鉄骨が完成時のエントランスだが、現在は向かって左側に臨時の出入り口を設けてある。新駅舎と、旧型の黒地に緑・黄色の表示のとりあわせもあと僅かの間か(臨時のエントランス付近上部の拡大写真)。

ここから16時30分発の東海南部線経由東大邱行の統一号に乗り、海雲台(ヘウンデ)まで行く計画。翌朝釜田(プジョン)駅発の清涼里(チョンニャンニ)行統一号に乗る予定なのだが、これだと東海南部線の南端に当たる釜山鎮−釜田間を乗り落としてしまう。・・・こういう発想は明らかに、うちと相互リンクしている某友人の影響を受けていると思う(笑)。で、せっかくだからリゾートとして有名な(?)海雲台まで行ってみて、地下鉄で戻ってこようという腹積もりである。

 
左:釜山駅ホームにて。通称「ボンゴ」こと7000号台機関車が無窮花号列車を率いて到着。
右:反対側に停まっている、東大邱行統一号の牽引も7000号台だった。ボンゴ同士のつかの間の邂逅?

釜山駅では、気合入れて改札に並んだ割りにそれほど人は乗ってこなかった。が、地下鉄駅とも近く、市場もあり、釜山市庁にも近い釜田でどっと乗ってきた。その次の巨済(コジェ)、東莱(トンネ)の各駅でもどかどか乗ってきた。あっというまに席が埋まる。
海雲台でも降りる人より乗る人のほうが多かった。


(夕暮れの海雲台駅正面。)


さて、海雲台駅前はリゾートのイメージから程遠い釜山郊外の都市部の風景だった。日も暮れかけ、リゾートホテルに用はないし、浜辺まで歩いていく気をなくし、そのまま地下鉄2号線に乗り、西面で1号線に乗り換え、釜田洞(プジョンドン)駅で下車。国鉄の釜田駅へは歩いて3〜4分といったところか。
釜田駅近くでコンビニを探すが、無い。旅館は行きの列車から外を眺めて目星はつけていたのだが、コンビニが無いのは困った。とりあえず駅のコンコースへ。新しく出来た橋上駅舎は、しかし線路の反対側にはまだ渡れなかった(工事中)。
とりあえず窓口で、とりあえず1月2日(金)夜23時25分発ソウル→光州行無窮花号の券を確保。で、また駅を後にして釜田の市場を歩き回ってみる。
かなり大きい。魚よりも、野菜や肉、それに薬草などの店が目立つ。光州でこの大きさに匹敵するのは良洞市場くらいじゃないか。いや、それでも負けてるかな・・・経済規模の違いをまざまざと見せ付けられる(当たり前だけど)。

そんな釜田市場の中の一軒の飯屋に入り、ソンジクッパプというものを頼む。…この時点で料理の内容を正確に把握していない(ぉぃ。出てきたのは牛の血を固めた具と野菜を煮込んだクッパプ。好き嫌いが分かれるだろうが、私は美味しく頂いた。ただ、2,500ウォンだったせいか量はちょっと少なかったが。この日は、再び釜田駅に戻って売店で飲料水等を買った後、明日早朝の出発に備えて早めに駅周辺の宿屋の1つに入り、風呂に浸かった後就寝。


2日目−1月1日(木)
●釜田−<清涼里行1222統一号>−安東

新年の瞬間には寝入っていて、韓国全土の新年の瞬間は(テレビの中継では)見ていない。しかし、ソルラルという旧正月を国民的規模で迎えるのに新暦の新年もしっかり迎えるのだから何かお得な気がする(<何か違う)。
それはさておき、5時40分頃に宿を後にして駅コンコースへ向かう。人は集まりかけているが、まだ列にはなっていない。
6時5分頃、改札開始。思ったほどには大して客もおらず、楽に座れた。この時点でまだ外は真っ暗。


(釜田駅ホームにて、清涼里行統一号(右)の発車を待つ。左上はそのサボ)

こんな時間帯なので、ひょっとしたら初日の出を見に行く人たちで混雑しているのでは…と思い早めに行ったのだが、大丈夫だったようだ。
…と思ったら、出発してすぐの停車駅・巨済でどっと人が乗ってきて、あらかた席が埋まってしまった。東莱ではさらに乗ってきて、ついに通路が立ち客でぎっしり埋まる。やはり初日の出、始発駅で乗って正解だった。耳慣れない釜山訛りが飛び交う中、個人的に感動した(?)のは、そんな通路の客を押し分けてでもワゴンを押して強引に通り抜ける、車内販売のおじさんだった・・・ある意味えらい、というか何と言うか。ちゃんと売れていたし。

海雲台でかなり降りて、次の松亭でもだいぶ降り、通路の立ち客は解消された。この辺りから空が白み始める。松亭(ソンジョン)を出ると列車はしばらく海から離れる。機張駅を出てすぐ、線路に沿う道路の渋滞を眺めていたら、目の前で計3台の衝突・・・2台目が前をよく見ておらずに前の1台目のお尻に衝突、さらにその後ろを走っていた3台目が衝突。スピードは出ていなかったので怪我はたいしたこと無かったと思うが、新年早々、気をつけて頂きたいものである。
月内(ウォルレ)駅に近づくと、再び車窓に海と、海岸で日の出を待つ沢山の人が見えてくる。空はすっかり明るくなっていたが、太陽はまだ出ていなかった。月内でもまとまった数の人が降りて、車内はようやくくつろいだ感じになってきた。ここから目的地の安東(アンドン)まではまだ4時間余り。


列車は月内駅を出ると、再び海岸線から離れ、山の合間の田んぼの中を走る。多分山を越えればすぐ海なのだろうが、見えないし、窓は開かない。
そのうち、ようやく太陽が山の上から顔を出してきた。車窓から見えた今年初めての太陽を撮影。

二重写しになっているのは最初は気象現象かとも思ったが、単に反対側の窓ガラスに映ったものが映りこんだだけかもしれない。
進行方向右側に座っていたのだが、右手から別の線が一本、もう2本と合流してきて、まるで複々線区間のようになってきた。長生浦(チャンセンポ)線と蔚山港線であり、すぐに蔚山(ウルサン)に到着。だいぶ人が降り、それなりに人が乗ってくる。慶州に着くまで、それなりに人の乗り降りがあって車内はあまり空かない。

仏国寺(プルグクサ)の駅舎を初めて見た。植民地時代に建てられたものがそのまま残っているというが、なるほど、よく見てみると韓国風の屋根と洋風の側面の折衷の様式がなにやら日本っぽい。箱根の冨士屋ホテルを連想した。西洋文明に対するコンプレックスとオリエンタリズム的視点とが絡み合って・・・などとあまり適当なことを言うのはやめるべきかも知れないが、ともかくいろいろな意味で、歴史的に遺しておく価値はある建物だと思う。下車したことはないが、慶州駅舎もその影があるかもしれない。


(客車内から見えた佛国寺駅舎)


さて、列車は慶州から永川(ヨンチョン)へ。この区間は昨年2月に乗っている。永川から安東までは再び未乗車区間。それほど険しくも無い山並みの間の田園地帯を進む。途中、儀城(ウイソン)という駅の近く、川際に見事な崖が形成されているのを見た。まるで屏風のようで、いつか写真を撮ってみたいと思う。
武陵(ムルン)の駅を出てしばらくすると、彼方に高層マンションの林が見えてきた。安東は思った以上に大きな都市らしい。11時44分、の定刻を数分遅れて安東着。ここでごそっと降りる。乗ってくる人はそれほどいない。ここまでは列車の本数も少ないが、安東〜清涼里間は無窮花やセマウルが何本か走っているためだ。

とりあえず腹が減っているので飯を求めて駅前を歩き回る。「粉食」と書いた店を探して入るが、あまり安くない上にビビンパを頼んだら、できないという。しかたなくカルククス(韓国風うどん)をすすることに。


(粉食店の店内にて。ここらでは未だに現役の、練炭ストーブ)

食べ終えて、腹ごなしがてら、旧慶北線の跡をたどることにする。駅の周りにはほとんど何も残っていなかったが、事前に用意した地図を基に歩いていくと、果たして旧線跡と思しき道路に遭遇した。



廃線探訪については後々そのページを作成したときに詳しく扱うことにするが、今回の旅行に先立って安東の地図をいろいろ探した。だが、ネット上はともかく市販の地図に、廃線跡を辿れるような細かい縮尺のものはない。それで、図書館で10万分の一の道路地図をコピーし、同じく図書館にある5万分の一地形図を参考に推定の路線を書き込んでみる作戦に出た。・・・実は図書館に地形図があることを知ったのは2003年に入ってからのことである。情けない・・・ともかく、コピーと地形図を照らし合わせると、駅周辺の路地には全く痕跡を見出せなかったものの、地形から醸泉(イェチョン)方向へ辿っていくと果たしてそれらしき道路が目に付いてくる。


(実際に訪れてみた慶北線旧線跡の道路。安東市にて撮影)

いちおうそれらしき線は引けたものの、やはり当時の地図があれば良いに越した事はない。そこで、地図の置かれている棚の上で埃をかぶっていた古い地図を引っ張り出した。「大正七年」とある。これで見てみれば・・と思ったのもつかの間。まだ慶北線など出来ていない時期だったのだ。後で調べたら大正七年は1918年だが、頭の中に換算表があるわけではないので分からなかった。

・・・しかし、この件に関しては用無しのはずの大正七年の地形図をそれでも眺めていると、なにやら背筋に冷たいものが覆い被さってくるようだった。併合後8年にして、ここまで詳細な地形図を測量し作成するというのは当たり前のことかもしれないが、改めてすごいパワーだな、と思うわけである。子供の頃読んだ堀淳一氏の、地図に関するエッセイの面白さとは違った、地図作成の別の顔を今更ながら見たような気がした。北辺の一部地域では調査が行き届かずに略式の地図になっていたが、それ以外の地域をくまなく測量し、小さな地名まで漢字に韓国語の読みをカタカナで丁寧に振ってある地形図の背後に感じたのは、確実にこの地を掌握・統治するのだという地道で巨大な意志だった。
的外れな言葉かもしれないが、帝国主義とは恐ろしいものだとこのとき思った。
・・・というより、国家の力とはそういうものなのだろう。



さて、歩いたりバスに乗ったりしつつ、結局日没タイムアウトで探訪は終わった。
バスに乗って日もだいぶ暮れた安東市街に戻ってきた。食事場所を探しがてらバスターミナルを見学。年季の入った建物だが、独りで入る気のする店はなく、市街地に入って夕食を食べる店を探す。結局駅前の別の店でオジンオトッパプ(イカの辛煮炒のかけ御飯)を注文したのだが、出てきたのは唐辛子の粒とラー油の効いた激辛料理。こんなものは光州では出てこない。食文化の違いに思わず少し残してしまった。
さて、ともかく夕食を終え、宿探し。といってもまだそれほど遅くないし明日は早くないので、せっかくだから安東の中心街を回ってみた。こちらの新正月は欧米のそれに近いといえるのか、夜の街は人で賑わっている。だが、旅館のある場所というのはあまり人通りの多くない暗めのところが多い。それでもなるべくあやしくなさそうなところに飛び込んでチェックイン。釜田のより5000ウォン高かったが設備はそれだけ良かった。
湯船にじっくり浸かって疲れをほぐした後、日本のテレビを久しぶりにじっくり見ているうちに眠くなってきた。



3日目−1月2日(金)
●安東−<清涼里行1222統一号>−清涼里−<京元電鉄線>−龍山−<京釜電鉄線>−ソウル駅−<光州行455無窮花号>−光州(翌3日・午前4時17分着)

疲れているわりには早くに起きたが昨日と違いゆっくり目に、10時近くになって宿を後にする。せっかくなので安東の名所を…というには時間が足りない。なので、安東市街の南を流れる洛東江を渡る鉄橋を見に行った。ちょうど下り無窮花号が橋を渡る時刻、ちょっと撮ってみようか・・・というわけだったのだが、やっぱりというか朝なので頭が回らずに、結局微妙な(というか何というか)出来に…

・・・アレですね、朝霧が若干立ち込めているのにこの距離は離れすぎ。あと、鉄橋にもっと近い位置から撮れば良かった。土手を降りて川面に近いところから見上げるように撮ったのが正解かどうか分からない。なんか、洛東江の河の流れに見とれてしまったのですよ。これをどうしても入れたくて。
・・・せめて、なんでもうちょっと列車が川の上に差し掛かるまで待てなかったのかなぁ。この直後アングルをずらしたんだけど、結果的に失敗。このままで見切れるギリギリまで連写し続ければよかった・・・
どなたかこの鉄橋を撮ってみて、どうか手本をお示しください(<運営者としてダメダメ)



気を取り直して安東駅に。駅の外の店でうどんを食べた後駅舎に入ると既に改札をはじめていた。きっぷ売り場で「清涼里まで、統一号で」と言うと、「7時間かかりますよ?」と念を押された。ホームに上がるとそれほど乗客は多くない。そりゃそうだ、約15分後に安東を始発する清涼里行の無窮花号の方が、2時間以上も早く清涼里に着くのだから・・・


(安東駅舎正面。)



乗ってみると、休日の昨日よりもやや客は少なく、希望する窓側に座った。…が、なぜかトイレの臭いが前方から漏れるように漂ってくる。それでも席が無いし、我慢できる程度だったのでそこに座り続けた。
甕泉(オンチョン)で反対方向の1221統一号と交換、平恩(ピョンウン)では後発の安東始発の無窮花号を先にやった後にさらに下り列車と交換するため19分ほど停車する。その間、一部の乗客は駅のホームに降りて談笑していた。


(平恩駅で後発の無窮花号が追い越していく。)


栄州(ヨンジュ)は現・慶北線、嶺東線の接続駅。当然ながらそれぞれのホームで隣接駅の表示は異なる。栄州の駅には今までになかった架線の列が空を覆っているが、この列車の牽引はDLのまま。後ろの席が空いたので、トイレのにおいを避けてそちらに移った。

栄州を出ると次は豊基(プンギ)。豊基をでると喜方寺(ヒバンサ)と言う駅なのだが、到着前のアナウンスで、なぜか「ヒ」にアクセントを置き、かつ長めに「ヒーバンサ、ヒーバンサ駅に停車します」という風に発音するのだ。そういうものなのかと思っていたら、後ろのほうに座っていた女の子のグループが「ヒーバンサだって、ヒーバンサ」とクスクス笑っている。やっぱり可笑しいらしい。
ヒーバンサを出ると、竹嶺トンネルという長いトンネルに入る。ここは慶尚北道と忠清北道の道境で、トンネルを抜けると一転して雪景色だった。竹嶺(チュンニョン)からはただひたすら、谷底を見下ろしながら下っていく。



 堤川で客がだいぶ入れ替わる。そして、堤川でELへの付替えが行なわれた。


堤川(チェチョン)駅で、DLから8000号台ELに付け替え。

この辺りの景色は一面真っ白だ。前日辺り雪が降ったらしい。
その雪も、高度を下げるにつれてだんだん薄くなっていった。

ちなみに、 後から知ったのだが中央線には二つのループ区間がある。一つは竹嶺駅のすぐ下に存在するようだが、そちらは見えなかった。が、もう一つのほうは車窓からも目に付いた。



はっきりと覚えていないのだが、地図で見る限り雉岳(チアク)駅付近のループ区間を走行中に撮った写真ではないかと推測。ループの上の線から下の線が見えた。
ちなみに、下の線の先の、線路の左上に見える黒い点のようなものは、線路の付け替えで発生した廃トンネル(実際にこの後、車窓の左側にはっきり見えた)ではないかと思うが、確信はない。


原州(ウォンジュ)からは徐々に客が増えていき、徳沼(トクソ)に着く頃には満員になっていた。徳沼の駅前には高層アパート団地が形成されている。そこからさらに増えるかと思ったが、思ったほどではないうちに終点が近づく。忘憂(マンウ)駅でだいぶ人が降りたかと思ったら次ははや清涼里だった。
清涼里からは未乗の国鉄線ということで京元線経由で、龍山まで。一時間に3、4本という本数だが、車内はすいていた。龍山で1号線に乗り換えてソウル駅へ。



やはりソウル駅の変貌振りはすごい。ここまで変えるかという驚きの一方で、もうちょっと鉄道駅としてのオリジナリティが出ても良かったのでは?という気もした。既に散々あちこちで意見が出ているが、仁川空港を真似したような建造物なので、今までの駅のイメージとはずいぶん違う。



・・・そんな中、ふとトイレに入った途端目に飛び込んできた極彩色の壁。


どうなのよ?

 それにしてもファーストフード店といい、フードコート形式の食堂といい全く空港だった。こうなると、むしろ江南のバスターミナルのほうが昔のソウル駅の雰囲気に近いんじゃないかと思えてくる。
それにしても、夜行列車の発車まで時間をつぶすのに苦労した。駅ビルに入っている店も飲食店以外は8時で閉まってしまう。たぶん駅の外に出てPC房にでも入るのが穏当なところなのだろう。でももう帰るだけだし、金を払ってまでネットをする気にもなれず買い食いしたり、ぼけーっとテレビを見たりして過ごした。

 そんなわけで最後に乗った23時25分発光州行き無窮花号、の車内は、天安を過ぎても一部でおしゃべりが続き、皆が寝入りだしたのは西大田を過ぎてからだった。僕は一度寝入るがまもなく目がさめてしまい、それで益山駅の構内を走るDLを目にしたわけである(掲示板参照)。
益山を過ぎると乗り降りの客もほとんどなくなった。4時17分、定刻で光州に到着。夜も明けぬ光州駅から、車通りも少ない夜道を徒歩で帰宅。余韻に浸る間もなく寝入った。


(了)アリガトウゴザイマシタ。




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