光州−潭陽間 第2区間

その1・旧駅/新駅切替に関係する区間

この先、旧光州駅跡からの旧線を辿るに当って、大きな障害が待ち受けていました(というと大げさですが)。



再び登場の略図です。上が大体北の方角だと思ってください。そして右隣の地図は、上の図の中の、細い四角の枠の中を拡大したもの。そして、問題なのは太い四角で囲まれた地点です。黄緑の点の列を新たに書き加えてありますが、これは実は1969年の光州駅移転にあわせ、旧光州線の線路が新たな光州駅に繋がるよう、整備された路盤跡の名残なのです。 どうやら1960年代の時点でも、まだ光州線の復活計画は生きていたようです。実際、その際の路盤の上に現在はビルや建物が建ち、鉄道の線路らしい軌跡を描いています。そのため、1950年代に再整備された路盤はその段階で壊されてしまい、今となっては正確な位置も分からない状態です。
白数字の「1」については下の写真を参照。


で、歴史的なその後の経緯ですが、まだ調査中です。ただ一ついえるのは、その後復旧計画がなくなると共に、元の路盤部分は道路や住宅地として開発の対象になってしまったということです。
以下は工事中、というより未踏査です(-_-;)。暫らくお待ちください。
とりあえず、「光州線その1」の最後に撮影した写真を載せておきます。

上の図右の「1」の地点の交差点を、図でいうと斜め右上の道路の方から撮った(つまり、1の地点の南西側)写真。移転後の現光州駅へ続くよう整備されていた路盤跡の上に建てられたビルです。向かって左側が鋭角になっていて、その先の並びの建物も一直線になっているのがお分かりいただけるでしょうか?
ちなみに「豊郷会館」(“豊郷”はこの辺りの地名)という名前のビルですが、見た限り単なるテナントビルのようです。
4階は棋院(碁を打つ所)になっていますね。

同じ地点から、今度は反対方向(北東側)を撮影したものです。かつて潭陽へと続く(はずだった)路盤が整備された場所に、現在は片側2車線の道路が敷かれ、ゆるやかなカーブに若干の面影を残しています。




廃線写真インデックスへ
ホームへ