鶴橋には、木浦からバスで行きました。時刻にあう各駅停車が無かったためです。 バス停留場から現在の湖南線の高架をくぐり、旧鶴橋駅の方向へ歩いていく途中で、ディーゼル機関車の大きな音が聞こえたので振り返ると、下り列車が駅に到着したところでした。 上の写真は、鶴橋駅改め、移転とともに咸平[ハンピョン]駅と名前を変えた駅(右端)から、ムグンフヮ号(急行)木浦行きが出発していくところです。 高い築堤の下には、昔からある掘っ立て小屋のような家屋が密集しています。 線路は高規格に生まれ変わりましたが、動力はまだディーゼルのため、立派な高架軌道の上をゆっくりと走り去っていく様子はちょっとユーモラスですらありました。 鶴橋駅近くの集落へと入ってきました。 写真だと見え難いですが、写真中央が踏み切り跡です。白いトラックが駐車しているのが、旧鶴橋駅側の廃線跡の道床です。 そのトラックの脇から、旧鶴橋駅のあったと思われる方向へ進入していきます。 幅が広くなりました。確かに駅の跡のようです。・・・建物はどこに? 駅の建物は完全に取り壊されていました。上の写真はホームの上からとったものです。 駅舎が取り除かれて、元の駅前の、日本の植民地時代のものように見える中華料理店の建物が見えます。 建物が建っていた辺りのコンクリートが刳り抜かれ、畑になっていました。まるで大きなプランターのようです。 旧駅構内は、駅舎はおろかホームの屋根までも御丁寧に取り除かれ、屋根の柱の部分の土台だけが切り取られて土が露出していました。ホームの上には撤去されたレールと枕木が野ざらしのまま置かれていました。跡地にただ一枚建つ立て看板は工事関係会社の警告文で、立ち入りを一応禁じていました。旧鶴橋駅について記したものは何もありません。栄山浦駅の様に保存するような措置は、こちらでは全く取られなかったかのようです。 栄山浦の取材の際には、2001年7月9日付で閉鎖になった、という掲示があったのですが、この旧鶴橋駅も同一月日に廃駅になったのかどうか、定かではありません。 ともかく、その短い間にここまで取り壊され、かつ資材は雨ざらしになっているという、そのことが今ひとつ理解できない部分がありました。 駅前の通り。ほんの1,2年前までムグンファ号の停車駅だったはずなのだが・・・もう何年も時間が止まっているような町並みでした。 上から2番目の、踏み切り跡の地点から眺めた、羅州方面へ続く廃線跡。
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