旧・鶴橋駅(全羅南道咸平郡鶴橋面)→(新)咸平駅

 旧・鶴橋[ハッキョ]駅は、全羅南道西南部の咸平郡に所在していた駅で、湖南線の木浦側からの工事で最初に開通した区間が木浦−鶴橋間だったといいます。ムグンファ号の停車駅であったその鶴橋駅も、新線の開通とともに廃駅になりました。新線上に移った新駅は旧駅から1KMほど離れているものの、同じく鶴橋面の域内に設置されたのですが、郡の名前をとって咸平[ハンピョン]駅となり、「鶴橋」の名は湖南線から無くなりました。
 鶴橋といえば、大阪の同名の(こちらは“つるはし”ですが)有名なコリアタウンを思い浮かべる方もいるかと思いますが、私もその連想に引かれて、次に行く廃駅はそこにしよう、とずっと思っていました。そうして、今回(9月21日)、木浦へ行った帰りに寄ることにしたのですが・・・廃駅後1年数ヶ月?にして初めて訪れた鶴橋駅は、以前訪れた栄山浦駅とはだいぶ様子が異なっていました。


咸平駅を出発するムグンファ号
 鶴橋には、木浦からバスで行きました。時刻にあう各駅停車が無かったためです。
バス停留場から現在の湖南線の高架をくぐり、旧鶴橋駅の方向へ歩いていく途中で、ディーゼル機関車の大きな音が聞こえたので振り返ると、下り列車が駅に到着したところでした。
上の写真は、鶴橋駅改め、移転とともに咸平[ハンピョン]駅と名前を変えた駅(右端)から、ムグンフヮ号(急行)木浦行きが出発していくところです。
高い築堤の下には、昔からある掘っ立て小屋のような家屋が密集しています。


線路は高規格に生まれ変わりましたが、動力はまだディーゼルのため、立派な高架軌道の上をゆっくりと走り去っていく様子はちょっとユーモラスですらありました。



踏み切り跡
鶴橋駅近くの集落へと入ってきました。
写真だと見え難いですが、写真中央が踏み切り跡です。白いトラックが駐車しているのが、旧鶴橋駅側の廃線跡の道床です。


鶴橋駅西側
そのトラックの脇から、旧鶴橋駅のあったと思われる方向へ進入していきます。
幅が広くなりました。確かに駅の跡のようです。・・・建物はどこに?




何も無くなった駅の跡
駅の建物は完全に取り壊されていました。上の写真はホームの上からとったものです。
駅舎が取り除かれて、元の駅前の、日本の植民地時代のものように見える中華料理店の建物が見えます。
建物が建っていた辺りのコンクリートが刳り抜かれ、畑になっていました。まるで大きなプランターのようです。



旧駅構内は、駅舎はおろかホームの屋根までも御丁寧に取り除かれ、屋根の柱の部分の土台だけが切り取られて土が露出していました。ホームの上には撤去されたレールと枕木が野ざらしのまま置かれていました。跡地にただ一枚建つ立て看板は工事関係会社の警告文で、立ち入りを一応禁じていました。旧鶴橋駅について記したものは何もありません。栄山浦駅の様に保存するような措置は、こちらでは全く取られなかったかのようです。
屋根が撤去されたホームの上レンガ造りの塔?(鉄道とは無関係かも)
駅前広場から駅の跡を眺める駅舎側のホーム(左側)と島式ホームの間、3線位の幅か

栄山浦の取材の際には、2001年7月9日付で閉鎖になった、という掲示があったのですが、この旧鶴橋駅も同一月日に廃駅になったのかどうか、定かではありません。
ともかく、その短い間にここまで取り壊され、かつ資材は雨ざらしになっているという、そのことが今ひとつ理解できない部分がありました。



駅前の通り。ほんの1,2年前までムグンファ号の停車駅だったはずなのだが・・・もう何年も時間が止まっているような町並みでした。

羅州方面へ
上から2番目の、踏み切り跡の地点から眺めた、羅州方面へ続く廃線跡。


咸平駅
旧鶴橋駅を引き継いで開業した咸平駅。ムグンファ号だけでなく、セマウル号も停まる第一等の駅になりました。鶴橋の名前が引き継がれなかったのは、一つにはもともと鶴橋駅が咸平郡内で唯一の鉄道駅だったため、移転の際に自治体(咸平郡)の方から改称の働きかけがあったことが考えられます。
咸平郡のシンボルは蝶だそうで、確か地元の名所だか地場産業だかに由来しているのですが忘れました。駅だけでなく、郡営バスにも蝶の絵が描かれていました。駅の前の歩道橋も蝶のモニュメントです。

好みは人それぞれでしょうが、「咸平郡」の蝶よりも「鶴橋面」の鶴の方が、良かったと思うんだけどなあ。日本的かなあ。


ちょうど駅の正面の駐車場で撮影している最中に、ちょうど各駅停車の光州方面(麗水行き)が入ってきました。
でも、正直言って、鶴橋駅跡のあまりの荒廃ぶりに落胆していた私は、走り出す気力を失っていました。



 栄山浦の駅を見て回った頃には、案外残っているものだな、と思いました。鶴橋駅でも、なんらかの収穫を期待して・・・いや、収穫があるものだと思って、その地を訪れました。
 それが、見るも無残な残骸の塊を目にすることになりました。前回の栄山浦駅と比較するにつけ、そしてこの後同じ日のうちに訪れた旧羅州駅の状態を考えるにつけ、なぜそこまで違うのかということを考えずにはいられません。

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