●群山への旅●

 群山[クンサン]は全羅北道北西の錦江河口に位置する港町で、日帝時代(植民統治時代)には日本へ移出する米の集積地として栄えたところです。全羅道=湖南地方で獲れた「湖南米」の名前は美味い酒の原料として一部には知られていた、ということを耳にしています。もちろんこうした植民地型の搬出は半島内の米価を不当に吊り上げました。植民地時代の群山の米の取引所を舞台にした『濁流』という有名な小説があるそうです(読んでませんが)。解放後には当然ながら、植民地朝鮮と日本本土を結ぶという役割は消滅し、それらの米も自給に回されることになります。
朝7時前の松汀里駅。ここから、木浦始発の7時22分発ソウル行無窮花号に乗車する。
二たびお世話になった光州駅始発の統一号木浦行きが一足早く到着。
発車時刻は9分早い7時13分。
大きな唸り声を上げてホームに進入してくる無窮花号のディーゼル機関車。
この日の朝は冷え込んで、この地域でも11月上旬には珍しい積雪。思いがけず雪景色の車窓を眺めることに。
群山線との分岐点に当る益山[イクサン]駅(クリックすると全景を表示)。かつては裡里[イリ]と言った。
この駅も電化・高規格化のために駅舎の建て替え工事が始まっていた(完成予想図)。
群山線の次の列車まで1時間半以上開いていたので、列車を諦めてバスに乗った。




群山にて
日帝時代に建てられた旧群山税関。ちなみに、現在も現・群山税関の別館として使用されている。
錦江の対岸の長項[チャンハン]とを結ぶ連絡フェリー。残念ながらこの日は風が強いため午後1時50分まで欠航とのことだった。
雑草の生い茂った群山港のヤード。
ただし、線路は完全に死んでいるわけではないようでした。


群山線(群山−益山)
群山駅(撮影当時)。
クリックするとちょっと大きめで表示します。
駅前にあった車止めは、100%廃レール製だった。もったいない使い方のような気も・・・
12時10分発の益山経由任実行き。群山線は益山から湖南線と分岐する全羅線の益山−全州−任実間と直通で、特定統一号(各駅停車)列車の区間運転を行っていた(撮影当時)。
3両編成のうち、益山寄りの一両とそれ以外の2両とで塗装が違っていた。編成の崩れた原因はなんだろう?
反対側の先頭車両(益山駅にて)。

 本当はこれには乗らず、連絡フェリーで長項に渡り、長項線の長項駅からソウル行きの列車に乗るつもりでしたが叶わず、益山駅からの上り列車も満席で、仕方なくバスに乗りました(同日夕方までにソウルへ行く用事があったため)。

追記:2008年から長項線と群山線は錦江を渡る橋を通じて結ばれ、改めて天安〜益山間が長項線とされました。また、これにともなって新・長項駅と新・群山駅が新設され、それまでの終着駅だった旧長項駅と、上掲写真にある(旧)群山駅を含む末端区間はそれぞれ貨物線として分離され、旅客列車が通ることはなくなりました。
また、写真にある統一号気動車も現在は走っていません。



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