今回は、光州線(光州−潭陽間鉄道)の、1936年以降の起点であった旧・光州駅から、路盤の跡がそのまま道路として残っている(第2期)慶全線(現在は廃線)との交差地点付近までを辿ってみました。
その前に、その駅までかつて伸びていたもう一つの廃線を辿りました。
・・・この辺の事情は、略図でも書かなければうまい説明の仕様がないのですが・・・とりあえず、 描いてみました。
現在の光州駅と、市街地と、2000年に廃止になった区間の大体の略図です。 (縮尺が入っていない・・・) 青線が2000年8月に廃線になった区間。 ※市庁、道庁はいずれも2003年当時の場所で、現在は他所へ移転しています。 | そして、今回訪れた廃線跡を、点の列で表記しました。まず1969年に光州駅が現在の位置に移転した際に廃線となった旧慶全線の区間=青。そして1943年に運行休止になった光州線=オレンジの点でなぞってあります。 |
今回の出発地点です。
「旧南光州駅」編で訪ねたのと同じ廃線で、この先をずっと行くと旧南光州駅です。
上の撮影地点から道路を渡り、反対側の光州方面を眺めます。見下ろしているのは、2000年8月に経路変更により廃止になった慶全線孝泉−光州間の一部ですが、実はここに写っている線路は1969年から2000年までの31年間だけ、使用された線路です。
そしてそれ以前は、光州駅は現在の位置よりももっと南の、市街地の割とすぐそばに位置していました。
そして、この陸橋のやや南側=↑の写真のあたりから、本来の線路は、(↓の)写真に向かって左の方向にカーブしていたのです。
その両方を写真に収めてみました。
この写真の向かって右側は上の写真の陸橋、つまり現在の光州駅へ通じていた「新しい」廃線、そして左側の坂を下っていく道が、元の慶全線の、旧光州駅に向かう「古い」廃線線路跡の上に造られた道路です。
さて、その道路を降りていってみますが・・・陸橋を作る際に、相当の盛り土をしたのでしょうか、廃線跡とはとても思えない、段になった下り坂でした。
この写真は、坂をほとんど降りきったところから後ろを振り返って撮ったものです。
合っているのか心配になりつつも、辿ります。
ちなみに線路際の家屋はやはり“スラム化”しているようで、あまりカメラを向けるとあれなので気を使いました。
平坦になりました。元は単線だったはずで、こんな道幅であるはずも無く、後から整備したものでしょう。従って当時の路盤らしい痕跡など何もないのですが、カーブの描き方がそれっぽかったのでパシャリ。
大通りに出ました。向かいの商店街のアーケードが、じつは「光州線」の路盤跡に立てられた、と、「光州ビエンナーレ2002 −接続−」の展示では示されていたのですが・・・
・・・角度的に言って、光州線というよりは、今辿ってきた旧・慶全線の跡といった方がしっくり来ます。どうなっているかというと・・・(次の写真参照)
これが、逆方向を写した写真です。(アーケード正面とはだいぶずれた位置で撮ったのは失敗でした・・・)
正面右に曲がっていく道路が、ここまで辿ってきた旧・慶全線廃線跡。
そして、正面左側に、分かれるようにして曲がっていく道路が、旧・光州線跡と推測されます。てゆうか、順序から言えば光州線のほうが先にあった訳ですが。
とりあえず、アーケードを進んでいきます。両脇の店まで含めれば、慶全線と光州線とで標準軌二本分の幅になるかな?でも、角度が今ひとつ変だったんですが。
進んでいくと、行き止まりになりました。
その先に回りこんでみたら、市場でした。
地図で見ておいたのですが、テイン市場という大きな市場です。どうやらこの市場自体が、旧光州駅の跡地に造られたものらしいのですが・・・今現在、確実な資料を手に入れていません。鋭意調査中・・・といいたいところですが、そのうち暇が出来れば、という感じです(汗)。なんとか歴史的経緯を探りたいものです。