4.チュリョン集落−ユサン橋 −その2−



ようやく、崖っぷちの道が終わるところ。
左側の岩が露出しているところは、この道床の建設の為に削ったのではないかと推測したのですがどうか。


崖からようやく逃れたところで、やや躊躇。廃線跡は右の小道か、左の盛り上がった部分か。
左っぽいですが、削られてしまっています。

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削られてしまっているのは上を跨ぐ、この2車線国道との立体交差のためだと思われます。
陸橋をくぐった先へと道は続きます。

陸橋をくぐって100Mほど行った所。

緩やかにカーブを描く廃線跡の農道緩やかにカーブを描く。


ずっと農道となっている廃線跡を進んでいくと・・・
水田の中の畑の帯
ぶどう畑になっていました。しかも、その畑が緩やかな弧を描いて帯状に伸びています。
廃線跡に間違いないと思いますが、こういう形態は予想しませんでした。

反対側(向かって右側)から眺めたところ。


畑が用水路を渡る橋(?)
ぶどうや野菜など、様々な品目を抱えつつのびる畑の中に橋を発見。

築堤の幅が写真をはみ出している表面だけ最近セメントを塗りなおしたということも
左:廃線跡の農地を横切る農道に入り、来た方向を眺める。
相当に幅が広いです。見えにくいですが(すみません)、左端の畑、中ほどのわだち道だけでなく、右半分の水田も、両側の水田より一段高くなっています。
この路線の軌道は、幅が現在の日本の新幹線と同じ標準軌だったはずなのですが、それにしても4,5本ほどはありそうな幅です。
右:さらには、用水路にかかったやたらに幅の広い橋を見つけました。ただ、表面上は解放前(終戦前)のもののようには見えないので、微妙ですが・・・
全くの当て推量ですが、近くに川があります。というか、これから川を渡るのです(次ページ)。
もしかしたらそこの川砂利を採取・運搬するための操車場だったかも知れません。



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