任城里−旧一老駅

 前回の旧鶴橋−羅州駅から3週間ぶりに再び湖南線の旧線・旧駅を訪れました。今回は任城里[イムソンニ]駅から旧一老[イルロ]駅跡、旧ミョンサン駅跡を経て夢灘[モンタン]駅まで、途中バスも使いながら踏査しました。
現在、湖南線は任城里駅まで複線化が完了していますが、任城里から木浦までの湖南線最後の7.4kmは現在まだ工事中です () 。ちなみに、木浦駅の位置は複線化工事が行われた後も移動しないようです。

※2004年12月に複線新線に切り替え



前回、9月20日に木浦を訪ねたときと同じ、6時55分発の各駅停車木浦行きに乗りました。
驚いたのは光州駅の工事が進み、かつて建物の正面に掲げられていた光州駅の看板が地面に下りて、駅前ロータリーの正面に飾られていたことです。
初めて知ったのですがこの工事は湖南線の電化に伴うもので、湖南線松汀里駅付近の分岐点から光州駅までの盲腸線区間を電化・複線化し、それに伴い光州駅の駅舎も全面的に建て替えるようです。かつて一度、ある人から光州駅も将来廃止になるかもしれないという話を聞いていたので、この電化工事を知ってほっとしました。とりあえず中期的な計画の中では光州駅は現在地のまま存続していくようです。


今回列車を降りたイムソンニ(任城里)駅のホームには、こんなものがありました。


信号てこ、と言う物だそうです。
光州から乗ってきたトンイル号(各駅停車)木浦行きが出発していくところです。一番後ろに電源車と思しき(?)車輌が付けられています。



列車の通過を待って、


手足を使って操作します。私自身初めて見ました。
ちなみに、画像左上には腕木式信号機も写っています。


この駅の「信号てこ」の形態は、たとえば「美祢行き(仮)」様の東アジア鉄道イソウロウ事務所や、こちらは主に台湾の鉄道主体ですが「なまはげ」様の歓迎光臨台湾軽便鉄路などのサイト内で見られる写真の「信号てこ」とは若干違うようですが・・・詳しいことは全く分かりません。それとも「信号てこ」とは違う種類の機器なのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃったらお教えくださると幸いです。
それにしても、新築の駅のホームにこのようなものが残っていて現役で使われている、というのはちょっとユーモラスに感じました。
※2004年12月に複線新線に切り替えの際、撤去された模様です。現在はありません。



イムソンニ駅の駅舎正面。・・・角度が大失敗(--;
こじんまりとしていますが、一日4往復の各駅停車(正確には、特定統一(トンイル)号)しか停車しない駅なので、まあこんなものなのでしょう。
駅の周りにも商店などは特に見当たりません。



イムソンニから、現在の湖南線は旧線からやや南にそれて、じきにトンネルへと入っていきます。一方旧線はトンネルをくぐらずに切通しの峠越えを目指してゆるやかに坂を登っていきます。
追記(11.4):任城里駅は、旧位置から若干移設された可能性があることが分かりました。この点については全く未確認です。分かり次第報告します。


徒歩で10〜15分くらいの所にある築堤と陸橋。


そこから線路跡に並行して走る幹線道路をさらに5分ほど歩いたところで踏み切りへ上がるけもの道を見つけたので上がってみました。信号の柱などは撤去されていますが、ちいさな標識の類はまだそのまま残っていました。



しばらく旧線の上を歩いてみました。遠くに切通しが見えてきました。周りに木工所などがあって犬が吠えるので(笑)線路跡を降りて、切通しの左上の車道を登ってみましたが、木が生い茂っていて下は見えませんでした。残念。


車道を通って切通しの反対側に来てみました。

切通しの両脇は工事中でした。どうやら、この切通しを利用して新たに道路を作っているようです。


切通しの反対側は、まさしく道路工事中でした。この道路が完成すれば、車も2枚前の写真のような峠越えの坂道を登らずに済むわけで、旧線跡も有効に活用されることになります。何年か後には、ここが廃線跡だとも知らずに多くの車がここを通過していくようになるのでしょう。


旧線跡から見下ろした、現在の線路です。旧線のすぐ真下からトンネルをくぐって出てきているのがお分かりいただけるかと思います。


2枚とも、写真の本線の奥の方に、(見えませんが)新らしい一老駅があります。
そして、そこから分岐して写真の右手前に消えていく線路は、栄山江河口の木浦市の反対側に位置するテブル(大仏)工業団地への専用線(建設中)だと思われます。

図で表してみました。

新線がトンネルを掘ることでいとも簡単に解決した所を、旧線は丘陵を斜めに横切るように這い登ってから、切通しで峠越えをしていました。

※大仏線は既に貨物線として営業中。

ここからはちょっとずるをして、旧一老駅のある一老邑の中心までバスで向かいました。
車窓からも田園を横切る旧線跡が見えましたが、その辺りでは道路工事は行われていませんでした。一部区間のみの活用のようです。


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