旧務安駅−新旧線の交差地点

(2004.2.25踏査)

<旧・務安駅跡


旧線の遺構は、さらに北へと伸びていきます。



一部が壊された橋の遺構。


こちらは、向かって左側が石組み、右側がコンクリート製になっている橋台。




軌道跡が途中で途切れ、畑へと還っている区間。それでも、畝のカーブに軌道の面影が重なります。
道しるべのように、枕木が置かれていました。



畑の先をさらに進むと小高い丘を切通しで越える区間に入ります。
切通しの上から、振りかえって眺めたところ。跡地の一角を仕切って、ヤギの飼育場が造られていました。




  
切通しを抜けると、まだバラストの残る軌道跡が再び出現します。
(右)遠くに見える現在線の高架の上を、列車が通り過ぎていきました。


  
(左)カーブを曲がると、現在線との交差地点が見えてきました。
(右)道路との交差地点に残されていたコンクリートの遺構。奥に2つ並んでいるのは警報機や遮断機、あるいは照明器の跡、手前のものは信号・通信設備の跡でしょうか?




旧線の上を新線がオーバークロスする地点。上を通る列車からも、注意しているとこの旧線の跡を見ることができました。



現在線の下をくぐって旧鶴橋駅方面に行こうとすると、頭上をセマウル号が通過していきました。
長いあいだ、湖南線の1等列車の地位を占めてきたセマウル号も、3月限りでその地位を湖南高速鉄道に譲り渡します。




交差地点から、しばらく行ったところにある橋台。



両側の橋台の姿。



橋台の先、咸平川へとカーブしていく築堤。




川を渡る地点。
橋の跡はきれいに撤去され、橋台があったと思われる土手の法面には、その部分だけコンクリートブロックで覆われていました。写真では見えにくいのですが対岸も同様の工事がなされていました。



向こう岸に渡る橋を探しに、一旦土手を伝って旧線を離れました。
しばらくして、ディーゼルの振動が空気を揺らして伝わってきました。13時31分咸平発の、統一号1553列車です。
写真手前から奥へ続く赤土の地面が川の土手で、写真の中央から左側、列車の走る高架の下に平行する築堤が旧線跡です。


思えば、客車型統一号が松汀里−任城里間の高規格の線路上を走ったのは、2001年の切替から3年足らずの短い間でした。2003年12月に切り替えられた任城里−木浦間の新線に至っては、わずか4ヶ月足らずの間ということになります。
2004年4月、韓国国鉄の大改革とともに、この地でも客車の鈍行列車の旅は歴史の中へと姿を消していきます。

今はまだ残っている旧線の跡も、いつかは姿を消していくのでしょうか。



>旧鶴橋駅再訪(更新未定)


湖南線インデックスへ
ホームへ