旧務安駅

(2004.2.25踏査)

 旧・務安[ムアン]駅(務安郡夢灘面社倉里)は夢灘駅の北、旧鶴橋駅(移転後は咸平駅)に位置する駅です。かつては「社倉(サチャン)」という駅名でしたが、務安郡の郡庁所在地の中心街に最も近かったためか、80年代以降(年月日は未調査)に務安駅に変更されました。
 2001年にこの区間の新線が開通すると同時に――或いはそれ以前の時点だったかもしれません――、務安駅はそれまでの位置から南に200mほど移動しました。現在の務安駅は新旧線が一致している場所にありますが、務安駅の敷地は現在線から数十メートルほど離れた旧線上にあり、ホームの跡が残っています。ホームのブロックは数箇所で壊されていて、ホーム上には芝生と植木が植えられてあり、ちいさな公園空間のようになっていますが、整備されているとはいえない状態です。

※ちなみに、湖南線松汀里−任城里新旧線のページの、務安駅付近〜咸平駅の略図は、位置関係を把握していない時点で推測で作成したため、大きく間違っていました・・・申し訳ありません。訂正しました。

 新旧両駅とも、務安郡の中心地(務安邑)からは湖南線の駅としては最も近いとはいえ、バスかタクシーでないと行けないような距離にあります。務安のバスターミナルからは光州・木浦方面に直行バスがかなり頻繁に出ており、道内の他都市への交通手段としては基本的にこちらが利用されているようです。



この日(2004年2月25日)は、1年以上ぶりに光州発木浦行きの統一号に乗りました。
高速鉄道の開業を控え、2002年の秋夕休暇に乗車した時とは、駅舎もホームも様変わりしました。そして、4月1日の高速鉄道の開業と引き換えに、この統一号は時刻表から消えてなくなる予定です(3月24日現在))。そして、この列車に使われていた客車形統一号車両は、韓国全土で、そのほとんどが現役を退きます。
韓国鉄道の新時代が始まります。



現在の務安駅舎。田園地帯の中に総2階建ての立派な駅舎が聳え立っています。



務安駅の北側にかかる跨線橋から、駅構内を見下ろしたところ。
横から見た務安駅舎。その前の広場に置かれた、オレンジ色のシートに包まれたものは、大韓通運が扱うコンテナの山です。



そして、反対側の咸平方面を眺めると、さらに北側にも跨線橋がかかっています。
その左下、線路脇の灰色のガードレールの辺りから左斜め向こうに向かって、大きな荷物が列になって置かれているのが、湖南線の旧線跡です。


  
地上に降りて、その場所へと近づいていきました。
新旧線の道床がはっきりと分かれる地点。旧線跡は、新しい跨線橋の階段部分の下を抜けて、旧務安駅のあった場所へ続いています。


  
(左)跨線橋をくぐると旧務安駅の構内が見えてきます。軌道跡の両側には、藁のような(?)ものが高く積まれていました。
(右)旧線と新線のあいだ、かつて踏み切りのあった所で繋がれていた黒ヤギ。・・・ちょっと怯えさせてしまった様で、ゴメン。




旧務安駅の構内。道床の両側には木が植わっていますが、ホームの痕跡が残っているのは左側だけです。
左の手前に、斜めに横たわった2本の枕木が見えています。



ホームのブロックの跡。植木の造園や、廃止後にできた道路を作る過程で寸断され、崩れかけてはいたものの、まだ植木の下にところどころ残っていました。






旧線の跡は、さらに旧鶴橋駅(移転後は咸平駅に改称)へと続いていきますが・・・旧務安駅を出るとすぐ、目の前に大きな建物が立ちふさがります。高速鉄道のために電気を供給する変電所です。



変電所の土台の足元に、旧線の橋台が残っていました。その脇には、「前方50m」と書かれた踏切注意の標識も残っていました。・・・この区間の新線には踏切などないのですが、標識はまだ撤去されていません。


橋台の向こうの現在線を列車が通過していく。




上の、標識にあった踏切の跡。青と黄色の縞模様に塗られたコンクリート柱がその位置を示しています。手前の旧線跡は変電所への入口としてコンクリートで塗り固められているのに対し、左手奥に続いていく軌道跡は藪に埋もれつつあります。



その先に続く、旧線跡の切通し。



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