旧老安駅付近の橋
旧老安駅から羅州駅方面へと南下する旧線。この先、線路はちいさな川を渡ります。…いえ、渡っていました。
老安の南数百メートルの所に残っていた鉄橋の橋台。頭上を斜めにクロスして渡っているのは、松汀里と羅州市街地を結ぶ国道13号線の橋です。
確か、最初に栄山浦を訪れたとき、まだここには鉄橋の橋梁がかかっていてバスの車窓からそれを見下ろしたような記憶があるのですが、その記憶が確かかはともかく、写真に残すには遅すぎました。今は一部が壊れた橋台だけが残っていました。
少し下に下りて、石造りの赤茶けた橋台をじっくり眺めてみました。
ふたたび橋台の上にあがり、ぼーっと辺りを見渡していると、「ごおおぉぉ」という低い音がどこからとも無く響いてきて、
そのうちに上りの統一号の列車が現在の軌道の上に姿をあらわしました。
老安駅に停車するために速度を徐々に落としつつ、川を渡っていくところです。
ちなみにその新線の橋の下に写っている橋についてはこのページの下をご参照下さい。
対岸の、羅州側の橋台のそばにも行ってみました。
左:羅州駅側の橋台。右・その上から老安側の橋台を眺める。
羅州側橋台のたもとに立っていたキロ程票。
植民地時代の橋
対岸の橋台のところまで行くのにこの橋を渡りました。「石見*橋」(見*=山偏に見)[ソッキョンギョ]という橋ですが、よく見ると植民地時代に作られた橋だということが分かりました。
左側、「××八年十二月竣功」とあります。橋の反対側で撮った右の写真から、「××」は「昭和」が削り取られたものと推測されます。
昭和八年、西暦で言えば1933年。鉄道で言えば当時の光麗線(現在の慶全線西部区間など)が開通した3年後。
歴史的には、昭和恐慌や満州事変の影響を受け、当時の朝鮮では、農村の疲弊と農民の流出が顕著化していた時期に当ります。
この橋は今日までどんな光景を見守ってきたのでしょうか。
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