■全羅線・旧書道[ソド]駅(全羅北道南原市巳梅面)


全羅線の書道駅は、全羅線の益山−順天間の切替え区間中、最後に残った任実−金池間にある駅です。植民地時代からの古いタイプの駅舎を残していた駅であり、またこの区間に特有の「通票閉塞」を行なっている駅でもありましたが、2002年10月17日に少し離れた所にある新駅舎に移行しました。
この旧書道駅については、ミネユキ(周生書道)様の「東アジア鉄道イソウロウ事務所」の「[韓国]全羅線の書道駅にイソウロウ」というページにて、現役当時の駅や、駅員の方の働く様子などが生き生きと紹介されています(ぜひ一度ご覧になってみて下さい)。私もそれを見て現役の間に行っておきたいなと思っていたのですが、機会を逃してしまいました。
今回は、せめて駅舎の残っているうちにと、切替から1ヶ月が過ぎた、2002年11月の暮れにここを訪れました。






出発点の、全羅線南原[ナムォン]駅(訪問当時)。基本的に全ての旅客列車が停まります。この日は列車ではなくバスで南原市街へとやってきたのですが、書道方面に向かうバスがこの駅前を通っていたのでここでバスを待ちました。書道駅方面へのバスは1日4本で、僕が到着した頃には発車時間を10分近く過ぎていたのですが、運良く遅れていて乗ることが出来ました。

書道駅は、南原駅から北へ2つ目。巳梅[サメ]面という面(村)の中心から2kmほどの、田園の中にあります。



書道駅舎表正面
旧書道駅の正面です。駅舎はまだ残っていました。
ただ、駅の正面にあった表示物はほとんど取り外されていました。



ホーム側から見た駅舎。



駅舎の傍に設置してあった、信号切替えのためのてこの列。秋を迎えてその傍らの花は既に枯れていました。もうここを手入れする人もありません。




南側(南原駅側)を向いて撮った、ホームの様子。



北側、任実・オス駅方面を見ると、腕木信号に挟まれた本線のうえに、作業用の車両が止まっていました。
手前に立っているポールは、通票を入れた輪っか付きのケースを投げ入れるための器具です。



上の写真でいうと左側にあたる側線で撮った写真。先の撤去作業用車両が通るためには真ん中の線路は残しておかなければなりませんが、その他はもう必要ありません。撤去直前の作業過程で、レールの連結部分の器具が取り外されています。きっとこの撮影から幾日と置かずにこの線路は取り外され、さらには枕木も撤去されてしまったことでしょう・・・
それにしても休日だからこうして写真が撮れたものの、平日に来たら中にすら入れなかったかもしれません。




旧駅の外に出てみます。駅の北側、先ほどの作業用車両の後ろにある踏切へ向かう路から、新しい書道駅への道が分かれ、長い坂を登った築堤の上に新駅舎が輝いていました。
新駅では今のところ通票の授受はそれまでどおり行なっているものの、信号は現代式の色灯式信号機でした。



駅舎から見えた作業車両は踏み切りのすぐ手前に停まっていました。荷車には、取り外されたレールが2本積まれていました。その先で撤去したレールがこの旧線を使って運ばれてくると考えると、なんだか複雑です。いずれはこの線路も…



踏切を渡って左側から眺めると、美しいカーブのさ中に立つ3本の腕木式信号機が晩秋の山河の中に際立って見えました。




今度は再び歩いてきた道を戻り、駅の南側の、旧線と新線の交差地点を見てみました。新駅からの線路は駅のすぐ南で旧来の線に接続していて、その先の新線はまだ工事中でした。
しかし、その合流地点近くにあった腕木信号機は、紛らわしいと言うことなのでしょう、腕木だけを取り外された姿のまま立っていました。もう、今ごろは柱そのものも撤去されたかもしれませんが。





なんとなく訪ねてみた旧書道駅ですが、駅舎やホームはそのままに、撤去作業は淡々と行なわれていました。結局、何を撮りに来たんだろう。よく分からないまま、それでも後ろを振り返りながら書道駅を後にしました。バスはありません、2kmのみちを国道沿いのバス停まで歩かなければなりませんでした。

国道に出たところで、しばらく迷ったあと、南原駅のほうに戻るのではなく、反対の書道駅の北隣のオース駅へ行ってみることにしました。そこならば廃駅ではない、現役の腕木信号や昔ながらの駅舎の姿を見られるのではと思ったからです。




※2004年8月までに、全羅線の任実‐金池間の新線移設工事は完了し、南原駅も新線上に移転しました。

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