光州[クァンジュ]−潭陽[タミャン]間鉄道=(旧)光州線について



歴史1  歴史2  現況


歴史・その2
〜休止、廃止への道



 1939年11月、未建設であった潭陽−金池間の工事が始められます。
 ところが、1941年12月、太平洋戦争が勃発します。潭陽−金池間の路盤そのものの工事は1942年の2月にほぼ完成したのですが、戦況が厳しくなり、線路を敷設するところまでは行きませんでした。物資は不足し、朝鮮半島の鉄道全体の運営を圧迫しました。当時の時刻表を見てみても減便やスピードの低下等、戦争の影響が見て取れます。そして1943年(別の資料によれば1944年)、日本軍の武器製造の為に光州−潭陽間の線路が撤去・収用されて光州線は営業停止となり、未開通の区間もそのままになりました。
 1945年時点での朝鮮半島の鉄道の一覧表には「休止線」として光州線 光州−潭陽間21.5kmが記載されています。また同年2月に総督府鉄道局が作成した「朝鮮鉄道略図」には、光州−金池間は「未開通線」の表示になっていて、この内光州−潭陽間には当時営業を停止していた4つの駅が記載されています。


 1945年8月15日、日本の敗戦により朝鮮半島は植民地支配から解放されます。ですが、光州線は鉄路の無いまま、再開業の見込みも立ちませんでした。
 ちなみに慶全西部線についてですが、もともと「慶全」とはプサンや慶州のある慶尚道と光州のある全羅道を結ぶという意味だったのですが、説明してきたように全羅道側は順天まで、そして慶尚道側は「慶全南部線」が京釜線の三浪津から晋州まで開通してましたが、2つの路線は繋がっていませんでした。解放後、1968年に晋州−順天間が開通してはじめて、正式に「慶全線」〔三浪津−松汀里〕となった訳です。


 一方の光州線は、1948年ごろには地元の住民から光州線の復旧・延長を求める声が高まり、1948年には潭陽、淳昌両郡の有志が集って推進委員会を結成し、中央政府への陳情などの活動を行っていました。
 ところが1950年に朝鮮戦争が勃発。戦線は全羅道一帯を走り、当時の光州駅舎も全焼してしまいましたが、休戦後に再建されます。
 それ以降も国会議員選挙のたびに候補者が路線の復旧を公約する等、光州線の復興を願う声は続いていきます。そして潭陽郡出身の国会議員のはたらきなどもあって、一度は10億ウォンをかけた光州線の道床の再整備までこぎつけました。しかしながら、予算不足やその他の理由により、惜しくも線路の敷設には至らなかったようです。


韓国全域の鉄道と旧光州線の略図はこちらをご参照ください。なお、この画像の著作権は白い地図工房と本サイトが所有しています。規定によって一切の転載及びその他の著作権に抵触する行為が禁止されていますのでご注意ください。


 その後、市街地整備計画の一環として、1969年、光州駅は従来の旧市街地に隣接した位置から大きく北西に移され、前後の線路も大幅に変更されました。
(※ちなみにこの都市計画は、1930年代後半に当時の朝鮮総督府が作成した都市計画の青写真を相当部分継承したもので、光州駅前の放射線状の道路網も日帝時代の計画に沿ったものです。)
ところがこのとき、光州線も、新しい光州駅に乗り入れられるよう、新たに路盤が整備されています。それがいまでも、現在の光州駅の北西に痕跡として残っているのです(参照)。しかし、それでも、結局光州線は復活することはありませんでした。そして80年代以降、正確な時期はわかりませんが、整備されてあった路盤は崩され、片側2車線の車道へと変貌してしまいました。少なくとも地上のこの区間を、鉄道が通ることはもうありません。


 そして2000年8月、今度は慶全線の松汀里−孝泉間に丘陵地帯を通るショートカット線が建設され、光州市街の南西側の住宅団地のそばの新線上に、新たに西光州駅が設けられました。これにともない光州−孝泉間の線路は廃止となり、南光州駅が廃駅になりました。また、残された松汀里付近(北松汀里信号所)−光州間は盲腸線の状態になっていますが、この線区は慶全線本線から切り離されると同時に「光州線」という名称が付与されました。ある意味ではかつての名称の復活となったとも言えますが、少々皮肉な結果です。
 日本と違い、遠距離交通機関として特徴付けられる韓国の地方国鉄は、市街地からの利便性よりも線路の存在による交通や都市建設への障害、鉄道隣接区域の価値下落・スラム化といったマイナス面で大きく捉えられる傾向があるようです。


 以前、将来は現在の光州駅も廃止されるという話も聞いたことがあったのですが、とりあえずは現行の光州駅がターミナル駅として今後も使用されるようです。2003年12月現在、北松汀里信号所付近から光州駅の間では、湖南線からの高速鉄道(KTX)乗り入れに対応するための電化・複線化工事がほぼ完了し、それに伴って光州駅の増改築工事も進行中です。2004年4月には高速鉄道が光州駅にも乗り入れてくる予定です。
とりあえず当分(20年ほど?)の間、現在の光州駅の廃止や移転はないようです。騒音と排気のディーゼルから電気機関車や電車に切り替われば、沿線のイメージや価値も少しは変わるかもしれません。・・・話がだいぶそれましたが。


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