多侍駅−旧栄山浦駅間の湖南線旧線




多侍駅−旧栄山浦駅間の湖南線の旧線は、栄山江の右岸をうねって行く線路でした。新線はそれよりも山側を3つのトンネルを直線的につなげて多侍−(新)羅州駅間を結んでいます。



多侍駅から旧栄山浦方面に歩いていくと、しばらくの間複線の現在線に沿って歩くことになります。そして旧線が栄山江の河岸に向けて大きく右にカーブする地点で新・旧線は分かれます。




新旧線の合流地点を中央に眺めて。
右側、列車が通過していく高架線が見ての通り現在線で、それに対し左手へと伸びていく、緑に覆われた築堤が旧線跡です。




道路と交差する地点に小さな陸橋の橋台が残っています。道幅を狭め、標識に「事故多し」とあるとおり交通の障害となっているため、少なくとも片側は、そのうち撤去されるのではないかと思われます。


そして上の写真の、向かって左側の橋台の先には、栄山江の河岸に迫る岩塊を貫いたトンネルが口をあけています。



高い築堤のうえに登ってトンネルの入口を見てみました。
明山−夢灘間で見たのと同じスタイルの石組みのポータル。


反対側=栄山浦寄りのポータル。




そこからしばらく行った所にある橋台。橋梁が撤去された跡になぜか塩ビのパイプだけが架かっています。



この辺りの路盤の様子。バラストは自然にか人工的にか、割と平らに均されていました。
 



またしばらく行った所に残っている橋台。
写真を撮っていると、後ろの現在線上をセマウル号が通過していきました。2001年の7月初旬までは、あの列車もこの橋台の上を通っていたはずです。




さらにしばらくいくと旧線は道路と交差し、今度は栄山江沿いの築堤の上を進んでいきます。


今度は、左に緩やかなカーブを描く切り取りに進入。それほど深い切り取りではないにせよ、廃線らしさを醸し出す風景です。




集落の脇を通る区間には、遮蔽壁が残っていました。廃線上は、カボチャ畑になっています。
これまでも同様の例を何度か見てきましたが、砂利敷きの地面はカボチャの栽培に適しているのでしょうか。




さらに進んでいくと、旧栄山浦駅に程近い高層アパート群が見えてきます。



旧線のこちら側(北側)の幹線道路とアパートとの間のガード跡。
片側の橋台は道路拡張のため、既に取り壊され撤去されていました。









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