<多侍−栄山浦間の旧線 多侍から辿ってきた湖南線の旧線跡も、ようやく旧栄山浦駅に近づいてきました。 栄山浦の手前にて、水銀灯のポールのようなものが前方に見えてきました。そのまま軌道跡を進んでも良かったのですが、どうなっているか分からないため一旦左の道路に下りてから、旧駅の方へと進みました。 道路から見える、旧栄山浦駅の廃墟。 廃墟と言っても廃止から2年と数ヶ月しか経っておらず、かつ人家にも隣接しているせいか、すっかり朽ち果てたというような雰囲気はまだありません。 貨物の積み下ろし場を背後にみた、旅客ホームの駅名名表示板。 このすぐそばに畑の間を駅に向かって続いている小道があり、それを辿っていくと駅構内に出ました。 2002年にこの駅を訪れた際にはソウル寄りの旧線跡から入ったものの、構内手前で引き返したため、駅構内に入るのはこれが初めてです。 一応、この土地を羅州市と鉄道庁が管理しているため耕地としての利用・通り抜け等を禁止する旨の警告表示があったのですが、実際には全くの野放し状態です。
ホームにて。 反対側、ソウル方面から。雑草に埋もれた側線の上に立って撮っています。 この旧駅の前後区間では線路は全て撤去されていますから、線路が残されているということだけでも、ここを保存する意思ありという解釈も可能ですが・・・このままではただ、荒れ果てていくとしか思えません。 旧栄山浦駅舎線路側から。 駅前広場から。ここは2002年の秋にも訪れたところです(その際には構内には立ち入りませんでした)。 駅舎の右側には駅の由来を記した板がありますが、車にぶつけられたのか、脚が折れ曲がっています。 駅舎正面の玄関。向かって左側のドアにくくりつけてある白い板の「鉄道公園にする予定」云々の掲示は2002年と変わりませんが、写真の右上に写っているガラスは割られていました。 参照:旧栄山浦駅(2002年撮影) ご覧のとおり、一年ぶりに訪れた栄山浦駅の現状は、自然のままに、荒れるままに任されているという印象をもちました(もしかしたら雑草の処理くらいは行なっているのかもしれませんが・・・)。 今まで見てきた韓国の廃駅では、多くの場合駅舎やホーム屋根等の上物は全て撤去されているか、あるいは旧羅州駅や旧谷城駅のように例外的に駅舎が保存されているかのどちらかにくっきりと分かれていました。しかし、地元自治体が一旦保存・整備という方向を打ち出しながら現段階でほとんど放置状態にある旧栄山浦駅では、結果として廃墟としての廃駅の風景が現出しつつあります。 保存についてはいろいろな意見があるでしょうが、隣の駅だった旧羅州駅の駅舎が日帝時代の鉄道の姿を今に遺しているものであり、かつ旧羅州駅が植民地支配下における光州学生運動の象徴的な場所の一つであるとすれば、現存する旧栄山浦駅の駅舎やホームは60年代以降の韓国の足跡の一つと見なせるのではないでしょうか。 保存という方針を、兎にも角にも打ち出した鉄道庁と羅州市には、そうした意味からも今後の保存・維持に対する積極的な措置を採ってくれることを願いたいものです。 |