旧羅州駅(全羅南道羅州市)

 


 
旧羅州駅前通り
旧・羅州駅は市街地のバスターミナルから歩いて10分ほどの所にあります。もともと特急や急行の停車しない駅だったせいか、羅州市が全羅南道では光州市をのぞけば2,3番目くらいの都市にもかかわらず、駅の周辺は田舎の集落に近い駅前のような雰囲気でした。旧・栄山浦駅がそれまでの中心だったことが理解できます。


旧羅州駅

駅舎は、韓国国鉄の典型的な昔スタイルの駅舎でした。鍵がかかっていて中も荒らされておらず、きれいに保存されていました。駅舎のすぐ後ろの旧線上にそのまま現在の線路が建設されたため、プラットホームや構内の施設は跡形も残っていません。
それにも拘らず、駅舎はほぼ完全な形で残されていたのは幸いでした。

光州学生運動解説
駅前には、ここが1929年に起った光州学生運動の端緒となった地であることを説明した大きな案内板がありました。トラックが邪魔ですが・・・
旧・羅州駅が取り壊されなかった理由の一つには、この駅がこうした独立運動の史跡である事があるかもしれません。画面をクリックすると、日本語で書かれた案内文を表示します。



踏切から旧ホームの辺りを眺める
駅の南、現在の羅州駅寄り(ここから新駅は見えません)に踏み切りがあったので、そこから入って線路の真ん中に立ち、かつてプラットホームのあった辺りを眺めてみました。右の二線が本線で、左は旧駅舎の手前から分岐して撮影した地点の背後へ伸びる引込み線(韓国大手企業グループの化学工場)へ続く側線です。
写真上部に架かっている陸橋は取り付け道路を残してほぼ完成しており、この踏切が閉鎖になる日も近そうです。実は旧駅の北側にも踏切がありました。この高規格の線路に踏み切りがあるとは思わなかったのですが、いずれ、電化が完了し高速化が完成する際には、踏み切りの一つもない状態が達成されるのでしょう。
駅舎は、線路の左側の木立の陰に隠れています。クリックすると、同じ踏み切り地点から望遠で撮った駅舎を表示します。




 この地を訪れる前に旧・鶴橋駅を訪れた後、これは一刻も早く他の旧駅も訪ねなければならない、と焦りを感じました。
旧羅州駅を訪れてみて、駅舎が保存されていたことに胸をなでおろすとともにその雰囲気の違いに戸惑いすら感じました。一つは、駅前というのは元から随分と閑散とした雰囲気だったということと、駅が廃止になったのに荒廃感がほとんどなかったことです。

駅前の雰囲気があまり変わらなかったのは、元々大きな駅ではなかったということと、この場所が羅州市街地に隣接した場所で、交通体制の変化によって急激に衰えるような要因がなかった事が挙げられると思います。
しかし、なによりも大きいのは、もちろん駅舎が完全保存されていることです。歴史的な史跡であるということ、駅舎のすぐ裏に現在も線路が走っていることで再開発がしにくいという事もあるかもしれませんが、旧・栄山浦駅と重ね合わせて考えてみると、自治体の姿勢の違い、というのも表れているような気がします。もちろんそれぞれの事情により、それぞれのやり方があるのでしょうが。


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