■大邱線 東大邱−清泉・切替予定区間■


2003年2月の初め、思い立って深夜の高速バスで大邱へ向かいました。切替・廃止予定路線のページで取り上げた、というより掲示板で情報を頂いた大邱線の東大邱[トンデグ]−清泉[チョンチョン]間を訪ねてみようと思ったのです。


この区間は清泉から京釜線の顧母[コモ]-慶山[キョンサン]間の地点の間に新線を建設し、市内の地上を走る現路線を廃止して平面交差の解消を図る、ということで大邱広域市が主体となって進められている事業です。


・・・沿線を歩いた感じでは、大きな道路の幾つかは現状でも立体交差になっているため、むしろ線路沿いに形成されている一部のごみごみした区域を整理・浄化したいという、大邱市の思惑が見えるように感じられました。




●(国鉄)半夜月[パニャウォル]駅

地下鉄1号線の半夜月駅入口

 大邱地下鉄1号線・半夜月駅の入口に立つ駅名標。同じく「東村駅」も同名の駅が地下鉄に存在するため、並行する国鉄の駅が廃止されても住民の足が無くなるわけではありません。ただ、地下鉄がその終点で国鉄とは接続していないため、永川・慶州方面への列車に直接乗れなくなるという不便はあります。



 半夜月駅近くの、琴湖江[クムホガン]を渡る橋の上から。
朝焼けの空の下、清泉から京釜線の顧母−慶山間につながる新線の軌道が見渡せました。
 視界をぐるっと取り巻く長大な高架線が、2004年度の開通に向けて建設中です。これが開通後も当分の間非電化・単線の路線とは・・・。いつもながらこうした切替え方の大胆さにはいろいろな意味で感嘆させられます。



 国鉄半夜月駅の駅舎。地名の由来は高麗の太祖・王建にまつわる逸話にあるとか。
 鋭角の瓦屋根の美しい・・・といっても、韓国の地方国鉄ならどこにでもある(あった)駅といえばそうかもしれません。


 駅舎の待合室。


貨車の留置されている半夜月駅の広い構内。


 東大邱発統一号下り列車、浦項(ポハン)行きがやってきた。この区間を走る統一号は一日に10往復ほどあるが、この駅は統一号でも通過する列車の方が多く、停車はこの列車を含めて上下計7本のみ。




●(国鉄)東村[トンチョン]駅

 半夜月とよく似た、でも少し違う東村駅舎の前景。



 隣接する大韓通運の入口から覗いたところ、中型のディーゼル機関車3200番台が貨車を伴って停まっていた。
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●琴湖江鉄橋


 東村の西方の踏切から、東大邱方面を見る。この先、大邱線は左に曲がり、琴湖江にかかる鉄橋を渡る。



 琴湖江鉄橋を渡る、セマウル号慶州[キョンジュ]/浦項行き(複合列車)。


 今度は逆方向に東大邱を目指す統一号列車が土手の踏切を越えて鉄橋へと踏み出すところ。






 この後、東大邱から浦項行きの統一号(東村・半夜月は通過)に乗って今度は列車で廃止予定区間を通り、そのまま慶州経由で浦項まで行きました。

 車窓から見て、廃線関係で気付いたことを書き記しておきたいと思います。

・永川−慶州間(中央線):幹線だからか、一部に軌道を改良(移設)した痕跡があった。おもに山肌と水田とが接しているようなところで、山側に古い築堤の跡が残っているところ、或いは橋の跡が残っている所を何度か目撃した。

・慶州に入る手前、現在は粟堂[ユルダン]−羅原[ナウォン]−慶州となっている中央線は元は粟堂の先で、トンネルをくぐってすぐに川を渡り、慶州の街を横切ってほぼ西から慶州駅に到達していた。これに対し現在の経路は街中の線路を廃止して街の対岸の川岸をしばらく北上したのち、慶州市外の北側を逆U字に回って浦項からの東海南部線に合流した後、ほぼ真北の方角から慶州駅に入っていく。
その、かつての中央線の古いトンネルが粟堂の少し先で車窓右手に見られ、並行するトンネルをくぐるとそのまま川へと伸びていく(現行線は川岸をそのまま走る)のが見える。その先にかつての橋脚の列があり、未来鉄道DBのハン・ウジン氏の個人サイト(韓国語)でも掲載されていたその橋の跡は、現在は人道橋に生まれかわっていた。真新しい黄緑色の橋梁を散歩する人が渡っていくのが見えた。

・慶州−浦項間:ここは建設当初は軌道幅762ミリの狭軌線(ナローゲージ)として建設されたが、植民地時代末期に標準軌に改軌された。車窓から見えた古い築堤や橋の跡が、しかしすべてナロー時代のものとは限らないが、確実にそうだと思えたのは安康[アンガン]駅の手前の川を渡る地点だった。
進行方向左手に見えた古い橋台の幅は、明らかに標準軌にしては狭すぎるものだった。もし機会があれば再訪したい。



 浦項駅の手前、東海南部線と浦項製鉄の専用線(槐東線)とが分岐する孝子洞[ヒョジャドン]駅では「製鉄⇔浦項」のサボの入った浦項製鉄専用通勤(?)列車(気動車)に遭遇した。この列車は浦項製鉄がかつて気動車数両を会社の金で購入して国鉄に寄付し、国鉄が運営する列車だとかで、一般の人が乗れないだけでなく、他の統一号は一切停まらない孝子洞−浦項間のヤンハク洞という停車場に止まることで韓国のマニアの間では有名なのだそうである(一部不正確かもしれません)。

浦項駅
浦項駅。


 浦項からは、実は浦項郊外の東海線未成線?の痕跡に関して踏査したハン・ウジン氏のサイト内のページを見ていたので、時間も余っていたことだしそちらの方に行ってみるつもりだったのだが、汽車に乗る前にちょっとしたことで足を痛めてしまい長く歩ける状態ではなかった。
 仕方なく浦項からそのままバスに乗って帰ることにしました。ナローゲージの跡も含め、この次にお預けです。

追記:新線への移行は完了しました。東村駅、半夜月駅は廃駅となりましたが、駅舎は文化的価値を認められてそのまま保存されています。



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