■旧「慶全線」潭陽−金池・未成区間■

金城面−金果面・その3 未成線・金果駅(/防築駅)建設跡地





全羅南道から、全羅北道に入った未成線の軌道。淳昌[スンチャン]郡金果[クムグヮ]面の北西、東山[トンサン]という集落の手前から、来た方向(潭陽方面)を眺めたところ。中央のV字に切れ込んでいるのが軌道の切り取りの部分ですが、そこからこちら側は水田として整地されて軌道の跡は残っていません。


東山集落の一部。写真の右側の、家の屋根の向こうに、やはり高台がV字に切れた、切り取りの跡が見えます。ちょうど手前の家の前庭の辺りを未成線の軌道が走っていたと考えられます。


その切通しの部分は小さな道になっていました。ここを抜けるとおなじ金果面の防築[パンチュク]集落に入ります。そして、そこに未開業の駅のホームの遺構が残っていました。




金果面防築の未開業駅

この駅は未開業のまま廃止になったため、駅名等は記録に残っていません。もし開業していたならおそらくは「金果駅」、もしくは「防築駅」になったのではと思われます。
駅跡地は防築の集落の前と、潭陽と淳昌とを結んでいる国道24号線沿いの家や倉庫との間の場所に、東西に伸びて広がっています。現在は軌道の両脇の建物を除き、畑地になっています。 ホームの縁石は、あるところではそのまま、あるところでは横倒しになった形で畑の縁石として利用されていました。




駅の手前(潭陽側)に残っている小さな橋。左の写真では、向かって右側だけ橋の縁が残り左側はコンクリート舗装と共に無くなっています。



潭陽側から駅跡地を眺める。
写真の左側の道路から、正面の6本の木が立っている一番右側までが、駅構内だいたいの幅だったようです。



淳昌方向に向かって、ホームの右側=南側の縁石のブロックの列を撮影。


こちらは北側のブロックの列。一部は横倒しになったまま、畑の畝の間に半ば埋もれて存在しています。



ホーム跡の中程、そこだけブロックが取り除かれ、国道へ通じる小道が横切っていました。この小道を100m足らず行って国道とぶつかったところが、現在の金果の市外バス停留所です。


その小道とブロックが交差する地点で、ブロックの列を正面から眺める。



駅跡地の東側(淳昌側)からホーム跡を眺める。見えにくいですが、写真中央やや左の、土色の帯になって伸びている部分がホームの跡地です。


未成線の軌道は、駅の東端から淳昌方面へと伸びています(続き:金果−淳昌民俗村その1へ)。


南東側から、駅の構内全体を眺める。

・・・余裕があれば、駅跡地や集落、それに国道などの見取り図でも追加して掲載したいと思います(未定)。


金果−トンネル−淳昌民俗村編その1へ


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