■旧「慶全西線」潭陽−金池・未成区間■

 


 この区間は、旧「光州線」の終点だった潭陽から、中間にある淳昌邑(全羅北道淳昌郡の郡庁所在地)を経由して全羅線の金池駅(全羅北道南原市金池面)までを鉄路で結ぶ計画で、植民地時代、戦時体制下の1940年に建設がはじまった区間です。その後太平洋戦争開戦後の日本の戦況の悪化等により工事は中断し、終戦=植民地支配の終焉までに開通することはありませんでした。
 その後の韓国の独立、そして朝鮮戦争の休戦後、戦時中休止されていた旧光州線の復旧運動とともに、この鉄道を開通させようという動きが起ります。がしかし、具体的な顛末については分からないものの、結局鉄道が通るには至りませんでした。開通していれば旧光州線と合わせて総延長約60kmの、湖南線と全羅線を結ぶ全羅南北道山間部の横断鉄道が完成していたはずでした。

2002年から2003年にかけて訪れた当時、途切れ途切れに、コンクリートの遺構や築堤・切通しなどを中心に未成線の築造物の跡が遺されていました。
 歴史的な解説についてはとりあえず、「光州−潭陽間鉄道=光州線について」をご参照ください。




・上から、潭陽→金池方面へ並んでいます。
・「第○回」は、実際に現地を踏査した順序を示しています。


   (第4回) 潭陽駅跡−金城面〔全羅南道潭陽郡〕

   (第8回) 金城面〔全羅南道潭陽郡〕−金果面〔全羅北道淳昌郡〕金果(防築)駅建設地跡:

        その1 その2 その3

   (第1回) 金果面−淳昌民俗村〔全羅北道淳昌郡〕: その1  その2

   (第2回) 淳昌民俗村−淳昌市街付近〔同上〕

   (第5回) 淳昌市街付近−淳昌駅予定地跡−豊山面閑内里(ハンネリ)付近〔同上〕

       その1・淳昌駅建設地跡  その2


   (第6回) 豊山面・閑内里付近〜蟾津江渡河地点〔同上〕

        その1  その2・ヒャンガトンネル/蟾津江に残る橋脚

        (写真)蟾津江に残る橋脚


   (第7回) 蟾津江渡河地点・対岸〔全羅北道南原市帯江面〕−上貴里−金池付近〔同市・金池面〕

        その1  その2 その3・帯江−金池間

   (第3回) 全羅線金池駅付近に痕跡を探る(8.22)



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