■旧「慶全線」潭陽−金池・未成区間■

 金果−トンネル−淳昌コチュジャン民俗村編(その1)


 今回の出発点付近。光州から市外バスの淳昌行に乗り、途中の金果(クムグァ)という村のバス停で降ります。
出発点付近にあった、切通しの法面。東屋風の建物の立っている丘のすぐ下を未成線の路盤跡が通っていたようです下が、駅の跡であったことは、不覚にもその後だいぶ後にこの地の前をバスで通り過ぎた際に分かりました(2003.5追記)


森の中を進む、未成線跡の小道。

このあと、林に突き当たって道自体は大きく曲がっていました。路盤が続いていたと思われる林はといえば、どうも園芸用の木を育てているようで、路盤の跡も見たところ整地されてしまっているようです。


林農地の端。築堤が切り落とされている。相当に高い築堤だったと思われます。



だいたい、水田や畑、植林などの農業用地として利用可能なところでは築堤は撤去されていて、切通しや、道路とのあいだの幅の狭いところなど、農地として利用できないところはそのまま残っていました。
そのままといっても、道になっていないところでは自然に帰りつつありましたが。
いずれにしろ、今回偶然に入手した80年代初頭の地形図のコピーがなければ、あっさり見失っていたことと思われます。それだけ途切れ途切れになっていました。



写真奥の方を横切っている道路が、トンネルへと向かう路盤の上に作られたもののようです。


その道路の上をさらに進むと、集落があります。広い道の終点で収穫作業をしていたおばさんに道を尋ねたら向こう側にいけるとのこと。通り抜けできるかどうかだけではなく、この未成線の事に関する事も聞いておけばよかったのですが・・・ちょっと時間的に焦っていました。


集落の前を過ぎると、道幅もぐっと狭くなります。
やはり標準軌用の路盤という事か、車の轍の横に細長い畑を作る余地があります。

木々に囲まれた見成線のトンネル 近づいて撮影

たどり着きました、この路線初めてのトンネルです。前述の地形図には、このトンネルに「ヒデ窟」という、あまり韓国語らしくない名称が記されていて、もしかしたら植民地時代につけられた名前が残っているのかも・・・と推測してみたりもしました。
車道としては並行して走る国道28号線があるため、ここを通る一般の車はありません。地元の農家の農作業用通路として使われているようでした。



トンネルの入口付近の地面。ちょうど枕木の下に当る箇所に、排水用の溝が掘られています。
実際、トンネルの壁面から染み出た水がたまってこの溝を伝って外に流れ出ていて、そのため入口付近は常にぬかっているようでした。


 泥まみれの路盤の中で
 鉄道用に作られたトンネルの意地を見せるかのように
 排水溝は光っていました―――

・・・某マンガのセリフのパロディーなんですが・・・
元ネタが分かった方、メールください(笑)




トンネルを抜けたところで、後ろを振り返ってみました。
惜しむらくは、風邪気味で息切れしていたせいもあってか、写真がぶれていたことです・・・うまく撮れたら、将来、本を出す際に表紙に使おうと思っていた風景なのに(嘘です)。

とにもかくにも、小さなトンネルは地元の人たちの道路としての役割を細々と果たしつつ、森の中にうずくまるようにして佇んでいました。

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