■旧「慶全線」潭陽−金池・未成区間■

第1回 金果−トンネル−淳昌コチュジャン民俗村 その2




トンネルを抜け、森を抜けて前方を眺めると、今度はもっと短いトンネルが見えてきます。



トンネル、というべきか跨線橋というべきか。トンネルの上には欄干がついています。
実は、2002年の3月にたまたま淳昌までバスに乗ったときに、沿線の廃線跡らしきものを注視していてもっとも印象に残ったのがこのトンネルでした。
もう一つの、このサイトの「出発点」であるかもしれません。こうして訪れる事が出来て、幸いでした。



左:その短いトンネルを抜けたところ。道床の跡はなくなって、水田になっていました。両側にせまる築堤は、右が現在の国道29号線。左側が、トンネルの上を渡って線路の脇に下りていた旧道です。
右:その、新道と旧道の合流地点から、トンネルを眺めてみました。右側の、バイクが停まっているのが、線路を渡るはずだった旧道です。

図解すると、こうなります。→

そして、同じ地点から上の地図の下側の「切通し」の方を眺めると、こんな感じです。


写真の左側が国道。右側、建設用地の盛り土でいったん途切れますが、その先に大規模な切通しが続いているのが見えると思います。


切通しの道に入ってみると、ずーっとかなりの下り坂です。切通しが終わるまで続きます。
このトンネルに向かって登ってくる列車はさぞきつかったでしょう・・・もし、開通していれば。
ここまで大規模な跡が残っているとは思いませんでした。そして、前ページのトンネルのように山間に埋もれているよりも、こうして目立つ所に、現在も道路として活用されている方が、かえって一層物寂しさを惹き起こすような気がします。




切通しが終わると、今度は築堤部に入っていきます。前掲の二つのトンネルがあった場所は八徳[パルドク]面という行政区域に属しているのですが、そこから淳昌の町へは、金果からそこまで登ってきたよりもはるかに激しい高低差があるため、切通しと築堤をつなげ、さらに休みのない傾斜をつけなければならなかったようです。



この辺りはちょっとした尾根を横切る形になるので、わりあい平坦なように見えます。が、写真では見えにくくてもやはり若干下り坂です。
遠くに、看板のようなものが見えると思います。「淳昌民俗村」という観光施設の看板です。看板の右側には88オリンピック高速道路が合わさってきています。そして左側の街路灯の列が、民俗村です。未成線の路盤は、現在の高速道路と民俗村の間を通っています。

この辺りで日没後の撮影の限界でした。次の日に、また夕方になってしまったのですが(平日ですし)、民俗村の見物も兼ねて再び訪ねました。

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