■旧「慶全線」潭陽−金池・未成区間■

淳昌邑[スンチャンウプ]−豊山面[プンサンミョン]・その1 淳昌駅建設地跡
(2003.1.8撮影)


 前回、夕刻時間切れで終わった、淳昌邑の市街付近の地点を1ヶ月以上たった今年の1月初めに訪ねてみました。しかし数日前に降った雪が深く積もったまま残っていて、最後にはだいぶ荒行のような行程になりました。それでも、予想以上の収穫を得ることが出来ました。

未踏査のまま残っているのは、今回の踏査の終点のハンネ里という辺りから先、ソムジンガンという河を渡って金池までの区間と、金城面事務所−金果停留所間。
潭陽−金城間は潭陽駅跡を取材した後に踏査しているのですが、そちらのページの方はまだ製作に取り掛かっていません・・・。もうしばらくお待ちください。と言いつつ、翌日突貫でアップしました。ふう。





前回、ここがアヤしいのではないかと思った給油所。しかし、従業員の方の話を聞いても、給油所の裏に回っても、駅の痕跡は見当たりませんでした。というより、狭すぎました。淳昌駅の建設予定地は、ここではなかったようです。


それでも雪の中を踏み分けていったところで見つけた、日本風の石垣。鉄道建設時に造られたかどうか不確定ですが、普通、民間で土留めのためにこれだけのものをわざわざ築造するとも考え難いので、当時の遺構である可能性は低くないと思います。



しばらく並行する国道の端を、雪に注意しながら進んでいき、国道が淳昌の市街に入っていくところで集落の中を行く小道へと入りました。その後は木工所の裏手になっていてよく分からなかったり、棚田式の水田になっていたりで旧軌道の経路を掴むことが出来ないまま、並行する村の中の道を進んでいきました。



ずっと軌道跡のあるハズの方を眺めながら進んでいくうち、ようやく、鉄道の築堤らしいものを遠くから発見しました。
クリックすると、表示されている写真の更に右側を表示。
まともな道は無く、雪の中のあぜ道を行くしかありませんが、地元の人のものらしい足跡があるのを頼りに進んでいきました。



革靴を雪まみれにしながら一段高くなった段を上ってみると、その上は広い田んぼになっていました。

 そして。向かって右側に、石かコンクリートで縁取られた、更に段になっているものが存在します。
 間違いありません、駅の跡です。いや、正しくは駅の建設地跡です。場所は淳昌の街の南方、田園地帯といってもそれほど中心街から離れてはいません。もしこの路線が開通していたら間違いなく「淳昌駅」として開業したと思われる、未開業駅の跡地です。



雪に埋もれたホームの縁石。向かって左側がホーム跡、右側がホーム下の路盤跡になります。旧潭陽駅跡と同じように、ホームの下は稲田に、ホームの上は畑に利用されているようです。


反対側(金池方面)を眺めると、広大な築堤部が先に行くにつれて一点にすぼまっていっている様子が見えるかと思います。
クリックすると拡大表示します。



その、金池側の端にある橋。下の川面はほとんど凍っています。


上の橋を渡ってしばらく行くと、淳昌郡の保健医療院という施設の敷地にぶち当たるのですが、その手前に、右脇に立つ小高い山へと登る遊歩道がありました。未開業駅を俯瞰できるかと思い、中腹まで登ってみました。


そして、その中腹から見下ろしたところ。紡錘形の未開業駅の敷地跡が見て取れます。右下に小さく橋が写っています。



淳昌郡保険医療院。ここでトイレを借りて自販機でカップのコーヒーを買って一休みしました。

もしこれをご覧になった方が淳昌に来る機会があったら(<まずないとは思いますが(^ ^;))、保健医療院までバスまたはタクシーで行ってみてください。田舎とはいえ、バスやタクシーがそれなりに行き交う道沿いです。
そして建物の右手の路地を入り、突き当りを道なりに右に曲がって少し歩くと淳昌駅建設地跡はすぐです。・・・是非、雪の無い季節に(笑)。







この先、保健医療院の裏手の崖の下辺りに未成線跡の路盤が走っているものと思い込んで先に行ったのですが間違いで、迷った挙句引き返しました。そうすると、路盤は現在の保健医療院の敷地内で左へ大きくカーブを切る形で、医療院の前の国道を横切って水田の上に出ていたことが分かりました。


引き返す途中の国道から。白い車が走っているのが未成線の路盤跡の道路です。
この先、路盤跡の道路は88高速道路の淳昌ICの真下をくぐって、さらに続きます。




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