木浦駅−旧東木浦駅の今・2003年末
(湖南線/全羅南道木浦市)
(2003.12.26撮影)


東木浦駅は、湖南線の南端に最後まで残っていた単線区間である任城里−木浦間に存在していた無人駅(無配置簡易駅)です。湖南線の任城里−木浦間については、2004年の高速鉄道開業に備えた電化複線の新線が、別ルートで建設されています。新線切替後は東木浦駅を含む任城里−木浦間の単線区間はそのまま廃止となる運命にありました。



以下に、新線と旧線、および交差する主な道路の略図を掲載します(道路に関してはだいぶ省略しています)。
任城里−木浦間の新・旧線の略図
赤字で「R1」とあるのは国道1号線を示しています。



そして2003年12月8日、事前の通告もほとんどないままの突然の新線への切替えと共に、この駅は廃止になりました。2003年11月末に私がこの駅を訪れてからわずか一週間余りの事でした。
廃止を知った同年12月26日、早くも撤去された旧線の線路の跡を辿って、再び、旧東木浦駅を訪れました。




木浦行き統一号列車に乗って向かう途中、羅州駅にて、試験運転中のKTX車両の通過待ちがありました。
(「KTXin湖南線」もあわせてご覧下さい。)




任城里を過ぎると、現在の線路の左側へと旧線が別れていきます。
かつて旧式の通信柱の立ち並んでいたカーブは、まだ線路が残っていました。しかし、通信柱は撤去された後でした。

このカーブを通過していく列車の姿を、MINEYUKI様の「東アジア鉄道イソウロウ事務所」内の「湖南線任城里駅にイソウロウ」にて見ることが出来ます。



さて、木浦駅で下車した後、駅前で軽く昼食をとってから旧線探訪に出発しました。時おり雪が舞い、風も強く吹いたかと思うと、雲間から陽射しが洩れてきたりと、めまぐるしくクルクル変わる天気でした。



木浦駅からやや東よりの位置にかかっている跨線橋から、任城里方面を俯瞰したところ。
左手のトンネルへと潜っていく複線が、開業間もない新線です。
一方旧線は、トンネルの右上に単線の線路が残っているのがかつての湖南線本線です。




そして、その先で、旧線は国道1号線と平面交差していました。
上の写真は、踏切り跡の木浦駅側から任城里駅方面(旧・東木浦駅方面)を眺めてみたところです。新線の開業後、踏切りは警報機を含めて全てが早々に撤去され、アスファルトで固められていました。

 

左:道路の反対側から木浦駅方面を眺めたところ。
右:撤去された警報機の土台。




木浦駅方面を覗いたところ。踏切手前のカーブ区間の線路が撤去され、道床脇に乱雑に積まれています。



反対側、旧東木浦駅方面。線路も、枕木も撤去されてバラストだけが残っていました。
向かって左側の柵の向こう側が、地下を走る現在線の真上に当たります。




1号線との交差地点から、旧線と新線はしばらく並行します。
旧線が大きく右にカーブする地点で新線のトンネルは直進し、旧線がぐるっと取り囲んでいた市街地をさらに大きく迂回する形でトンネルと高架を繋げて任城里に至っています(このページの一番上の略図参照)。



新線から離れた旧線の、踏切跡。跡といっても、まだ遮断機や警報機が残っていて、ちょっと見には現役の踏み切りの様です。


しかし、歩道の遮断棒は、下りないようにビニール紐で固定されていました。その奥に見えるのは、踏切警手さんの待機小屋です。もはや人影はありません。



踏切から東木浦駅方面を覗き込もうとすると、そこでは今しもブルドーザーとダンプカーが撤去作業の仕上げをしているところでした。




作業中の重機を避けて並行する道路を歩き、東木浦駅の手前から道床跡の敷地へ入りました。

東木浦駅の手前の小さな鉄橋。
左が11月30日に、右が今回(12月26日)撮った写真です。線路と枕木が撤去されたために、かえって下の橋台の石組みが良く見えるようになりました。




東木浦駅構内を眺める。
線路も枕木も撤去され、バラストの一部が大きく抉られています。







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