旧古幕院駅−多侍間の旧線 その2



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 しばらく行って再び旧線と交叉する道に入り、かつての踏切のあった辺りまで行くと、その先にはチェーンがかかっていました。なにやら倉庫のような物が建っています。・・・まあ、入るべきではないでしょう。



 さらに迂回した先の旧線の様子。潅木にも見える雑草(あるいは、何かの若木でしょうか)が軌道の中ほどまで侵入してきています。この区間が切替えられたのは2001年のはずですが、月日は短いようで長いということでしょうか。





 旧線の北側を並行して走る道路から、やや上り坂になっている築堤を眺めて。


 この辺りで旧線に沿っている道路は国道一号線ではなく、上の写真を撮影した辺りから線路に沿って分かれる、車通りの少ない道です。緩い坂を越えると緩くカーブしながら緩く下っていく、歩道の整備された歩きやすい道でした。



 道路の右側の、旧線との間の木立が途切れて旧線跡が見えてきました。黄色と青で塗られた柵の下が切通しになっています。さらに柵の上のほうへ小道が登っていき、現在の湖南線と跨線橋で立体交差しているのが見えます。




左:旧古幕院方面。
右:多侍方面。左へカーブを描いていく先に、架線柱を並べた現湖南線が合流してきています。

そして、新線と合流して消えてしまった・・・と思った旧線ですが、高架線の下に築堤が残っていました。



 雑草が我が物顔で生い茂っていますが、その下から古びたコンクリートが顔を覗かせています。現在の線路を走る列車の上からでは確認できない痕跡です。



 その築堤跡も、やがて駅の手前で途切れます。
上の写真から100mほど歩いた辺りの築堤の上から、多侍駅方面を眺めたところ。写真の正面に小さく見える、三角のコンクリートの壁面が駅ホームの下を支える築堤で、その左側の茶色く見える、やはり三角の屋根が現在の多侍駅舎です。







多侍〔タシ〕駅(羅州市多侍面)



 新線に切り替わる前の、かつての多侍駅の姿や正確な位置を示す資料は手元にありませんが、駅前の町並みを見る限り、駅の位置が大きく変わったわけではないようです。

 


 多侍駅の正面。屋根に葺いてある素材は古幕院駅や老安駅の駅舎と同じ物のようです。

・・・どうも、主にコスト面の理由から、これと同じ素材を旧谷城駅舎の修復にも利用したのではないか、という疑いが・・・





 駅舎の脇から、ホームを見上げる。



 駅前の通りの様子。




 通り沿いの、現・多侍駅舎の手前の線路との間の敷地に建設された、「むらの情報センター」。造りは随分ちゃちにも見えますが、地域の情報化社会への第一歩といったところでしょうか。ちなみに、セコムしてますね(笑)。

 写真を見て後から気付きましたが、線路沿いであること、建物の脇に大きな木があること、また2000年に編纂された地図では多侍駅の位置が現位置よりも若干古幕院駅寄りに描かれていることなどを考え合せると、あるいはこの場所にかつての多侍駅舎や、あるいは鉄道に関連した建物などがあったことも考えられます。










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