■旧「慶全線」潭陽−金池・未成区間■

第6回 豊山面大佳里付近−ヒャンガ集落 その1/2



 今回は淳昌のバスターミナルから、前回の二連の眼鏡橋のところまでタクシーで行きました。行き先を告げる段階で焦って変な発音になってしまい、運転手の男性にあっさり外国人だと見破られました(<本当に2年間居たのか)。バレついでに自分が日本人の留学生で、日帝時代(植民地時代)の鉄道の跡を辿っているのだといったところ、それならヒャンガのトンネルがある、と即座にお薦め先の答えが返ってきました。
 ヒャンガのトンネルとは、全羅南道淳昌郡と全羅北道南原市の道境を流れる蟾津江を渡る手前の岩山を貫くトンネルで、トンネルを抜けた先の川岸にヒャンガという小さな集落があります。これらの事は事前に淳昌郡誌に掲載されていた80年以前の地形図等で確認してはいたのですが、実際に現在、トンネルがどういう形で現存するかは事前の下調べではわかりませんでした。それが、タクシーの運転手から即答されるほど地元の人々によく知られていることを知って、とりあえずほっとしました。
 眼鏡橋を過ぎた辺りでここで止めてくれと言うと、一旦止めてくれましたが、料金のことを気にしたと思われたのか「この料金でトンネルまで連れて行ってあげる」と言ってくれました。この後にも体験するのですが、日本人がこんな田舎まできて(本当に田舎です)植民地時代の事について知ろうとしているということが、現地の人にとっては驚きと若干の嬉しさを伴うことのようです。
しかしともかく私はこの橋から続きを始めなければならなかったので、気持ちだけ頂いて(と言った訳ではありませんが)降ろしてもらいました。



前回の眼鏡橋を反対側から撮る。雪はすっかり消えていた。



しばらく行くと四叉路にぶつかる。道路は一旦高度を下げる。この道路は全般に旧線跡にしては上り下りの勾配がややあるが、2車線に整備した際にそうなったのだと推測される。



四叉路を少し過ぎた辺りから。左に曲がっていくのが旧線上の道路。その先は切通しになっている。

その途中、築堤の下に開いた小さな橋


切通しの前後に、鉄道建設時の遺構と思しきものがありました(別ページに飛びます)





切通しを過ぎると、山の麓を横切って真っ直ぐに伸びる道路になります。左手の眼下には佳南平野の水田が広がっています。




途中に、山肌から水の湧いているところがありました。何台もの車やバイクで、水を汲みにきていました。




その湧き水の脇に立っていた豊山面の観光案内図。
実はこの図の中に大変興味深い写真が2枚写っています。詳細はこちら(別ページ)



やがて、山肌は急になってきます。
正面に山塊が見えてきました。道路は左に曲がり、岩山の肌を削り取って這い登るようにして山の反対側へ続いています。

しかしその勾配のきつさから見て、鉄道がその軌道を通る事は考えられません。鉄路が通るはずだった軌跡は、右へと曲がります。そこに、この未開線でおそらく最長と思われる、ヒャンガトンネル(400m)が口を開けています。

そしてその先には、これまた高さ・長さ共にこの路線で最大ではと思われる橋台と橋脚の列が残されていました。


ヒャンガトンネル・橋の跡へ


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